
〔人物〕戸籍表記は國分である。國分陞は昭和20年3月9日に國分栄七、十二日(とにか)の五人兄弟の末子(男2人・女3人)として白石市に生まれた。兄は榮一、鎌田文市の妻さくよは叔母(栄七の妹)にあたる。陞の祖父徳治の兄寅吉の… 続きを読む
〔人物〕戸籍表記は國分である。國分陞は昭和20年3月9日に國分栄七、十二日(とにか)の五人兄弟の末子(男2人・女3人)として白石市に生まれた。兄は榮一、鎌田文市の妻さくよは叔母(栄七の妹)にあたる。陞の祖父徳治の兄寅吉の… 続きを読む
〔人物〕昭和11年8月31日、宮城県鳴子町の工業片倉利惣治の四男に生まれる。昭和27年4月17歳のとき鳴子の大沼力の弟子となり、木地を学んだ。こけしも作ったが、昭和35年に転業し、出稼ぎ労働者等をして働いた。昭和47年4… 続きを読む
〔人物〕明治31年11月3日、宮城県刈田郡遠刈田の木地業佐藤茂吉、とねの次男に生まれる。母のとねは佐藤文吉の長女で、父の茂吉は吉郎平家から養子に入った。佐藤円吉は長兄。 12、3歳ころより父茂吉について木地修業を始めた。… 続きを読む
〔人物〕昭和7年1月3日、宮城県玉造郡鳴子町の木地業松田初見の二男に生まれた。松田三夫は長兄、すみ子は妹、忠雄は甥にあたる。父初見、兄三夫について木地を学んだが、しばらくして転業した。その後、昭和45年より再び木地を再開… 続きを読む
〔人物〕 明治15年9月20日、鳴子町上鳴子に生まる。木地業大沼甚三郎、わきの二男。岩蔵は兄、甚五郎、万之丞、健三郎は弟である。小学校卒業後岩蔵について木地修業、父甚三郎を助けて木地業に従事したが、徴兵検査を受け明治35… 続きを読む
〔人物〕安政5年10月11日、宮城県刈田郡遠刈田新地の木地業佐藤久蔵の長男に生まれる。父久蔵の妹トヨは弥治郎佐藤東吉へ嫁し、その下のトラは新地の佐藤文吉に嫁していた。 久吉は、明治6年16歳で義理の叔父佐藤文吉について二… 続きを読む
〔人物〕 南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。 浄法寺にある天台寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器と… 続きを読む
〔人物〕大正7年5月13日、佐々木金次郎長男として青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下に生まる。昭和2年10歳のとき、大鰐に他出して仕事をしていた父金次郎に招かれ一家で大鰐に移った。昭和七年高等小学校卒業後、同8年より父金… 続きを読む
〔人物〕 昭和61年11月12日、吉野昭・江美子の長男として宮城県白石市弥治郎に生まれる。平成16年柴田農林高等学校卒業後、ニチレイ食品に就職、半年後に体調をこわして退社。その後、JAのサービスステーションで約2年間働い… 続きを読む
〔人物〕明治36年12月8日、山形県南村山郡堀田村成沢の農業橋本清吉、ていの六男に生まれる。兄弟は七人。大正6年15歳で蔵王高湯の緑屋斎藤源吉の弟子となり木地の修業を始めた。その後、昭和8年31歳まで緑屋の職人を勤めた。… 続きを読む