
〔人物〕文政7年6月13日、鳴子高野屋高野四郎作の長男に生まる。戸籍表記は亦五郎。父四郎作は旅館業で、家督は第一子である姉が相続、又五郎は弘化4年に源蔵湯隠居家督大沼三郎治(竹三郎)の長女ちやの入婿となり、弟幸作は分家し… 続きを読む
〔人物〕文政7年6月13日、鳴子高野屋高野四郎作の長男に生まる。戸籍表記は亦五郎。父四郎作は旅館業で、家督は第一子である姉が相続、又五郎は弘化4年に源蔵湯隠居家督大沼三郎治(竹三郎)の長女ちやの入婿となり、弟幸作は分家し… 続きを読む
〔人物〕 昭和26年9月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷の高橋松子(戸籍表記まつを)の長男に生まれる。母松子はその父高橋盛とともに一家で秋田に移って、戦争中をその地で過ごした。秋田時代に結婚し、長女正子を生んだ。昭和25年… 続きを読む
山形県最上郡金山町の人。大正7年山形県の木地講習会が金山で開催され、鉄蔵の家が会場になった。この講習会には佐藤三治、菅原富蔵も参加した。金山は及位の隣の町であり、おそらく三治、富蔵は及位から指導に参加したのであろう。 ま… 続きを読む
〔人物〕明治38年1月14日、青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下の木地師佐々木金助の三男として生まれる。明治39年、養子に行って大鰐の農業長谷川甚太郎の弟となり、甚助と呼ばれるようになった。そのためこけし収集家橘文策が注… 続きを読む
〔人物〕 明治5年5月10日、山形県羽前国南村山郡高湯村30番地(現在の蔵王温泉)能登屋岡崎栄吉・可能(かの)の四男に生まる。家は代々嘉平治で、父栄吉も嘉平治を襲名、戸籍名は嘉平治であるという。父の嘉平治は蔵王を山越えし… 続きを読む
〔人物〕昭和15年9月28日、大阪の印刷業平出友次の長女に生まれる。宮城県玉造郡鳴子町のこけし工人柿澤是隆と結婚した。昭和46年頃より夫是隆について木地挽きの練習を始めた。昭和49年に長男是伸が生まれた。 眞里子名義で自… 続きを読む
〔人物〕大正5年11月1日、宮城県玉造郡鳴子湯元の後藤徳治、さだよの長男に生まれた。鳴子青年学校を4年で修了後、昭和7年17歳より岡崎斉の弟子となり、6年間木地の指導を受けた。特に兄弟子本間留五郎の指導を受けたという。昭… 続きを読む
〔人物〕 明治29年11月28日、銀山温泉に生まれた。農業のかたわら製炭を本業としていたが、大正11年および13年のそれぞれ12月に、銀山で開催された山形県木地講習会において1ヶ月づつ講師の安藤齢太郎について… 続きを読む
〔人物〕 明治2年(月日不明)、青森県津軽郡山形村温湯の木地業佐藤伊助の長男に生まれた。津軽の木地業は古く藩政時代にさかのぼり、温湯には8軒の木地屋が居たといわれる。佐藤家はその一つで代々太左衛門を名乗り、6代前の祖が嶋… 続きを読む
秋田県川連の木地師。明治末期に鳴子に来て秋山忠の木地工場(西条菓子店の辺りにあった)で職人として働いた。この時、この工場で秋山慶一郎も共に木地を挽いたという。 忠の弟子とも言われるが、川連から木地職人を招いて椀木地を挽か… 続きを読む