大沼健伍

〔人物〕 昭和12年2月15日、宮城県鳴子の木地業大沼健三郎の長男に生まれる。鳴子中学校卒業後、菊地某という新型こけし作家の描彩を行った。昭和30年19歳の時、父健三郎について木地を学び、こけしの製作も始めた。その後、一… 続きを読む

軽部留治

〔人物〕鶴岡市家中新町の郷土人形作家。温海の阿部常吉や、その他の工人のこけし木地に描彩し、おもに鶴岡の物産問屋丸金商店(阿部金治郎経営)より販売した。 昭和15年4月8日没、行年51歳。  〔作品〕〈こけし辞典… 続きを読む

創生期鳴子こけし

東京こけし友の会の〈こけし手帖・618〉(平成24年7月)に高橋五郎寄稿による鳴子古こけしの発見とその考察が掲載された。 これらのこけしは宮城県加美町上狼塚の旧家から発見されたもので、特にそのうちの三本は下の写真に示すよ… 続きを読む

斎藤僚子

〔人物〕昭和38年6月9日、福島県福島市土湯温泉の斎藤弘道、とみの次女に生まれる。昭和57年3月福島市立成蹊女子高校を卒業、株式会社キャノンに入社、福島工場に勤務した。高校卒業の頃からこけしの描彩に興味を持ち、父弘道の指… 続きを読む

佐藤丑蔵

〔人物〕明治22年3月4日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文治、はるの長男に生まれる。三治、誠次は弟。15歳のとき、青根の丹野倉治方で職人をしていた叔父佐藤文平について約一年間木地を習ったが、その後二年間は木地挽きに従事せ… 続きを読む

今野幹夫

〔人物〕 昭和6年5月28日、北海道網走郡北見市美幌町の農業今野房吉・マツヨの長男に生まれる。小学校3年生のとき一家は南洋パラオ本島に移住し、そこで農業を始めた。終戦後、昭和21年3月パラオ本島大和高等小学校を卒業した。… 続きを読む

我妻信幸

〔人物〕昭和10年2月20日、宮城県刈田郡遠刈田温泉の木地業我妻与四松の次男に生まれた。長兄は昭三。昭和25年から新型こけしを描いていたが、昭和35年に父与四松が本格的に伝続こけしを姶めたのを機会に、描彩の手ほどきを受け… 続きを読む

高田稔雄

〔人物〕  昭和48年1月8日、宮城県仙台市宮城野区の教師高田潤一・陽子の長男に生まれる。平成7年3月岩手県花巻市の富士大学を卒業し、その後印刷業・造園業等に従事した。平成22年頃より、こけしに興味を持ち、蒐集を始めたが… 続きを読む

高橋勘治

〔人物〕  万延元年4月12日、宮城県玉造郡大口村38番地(川渡鍛冶谷沢)の高橋丹治次男に生まれる。丹治家は代々丹治で、父丹治は名生定村の中鉢吾八の三男孫吉であったが、祖父丹治の養子となり、家督を継いだ後丹治と… 続きを読む

田崎弥蔵

明治から大正にかけて山形市旅篭町で開業していた家具屋の主人。 田崎家具店では、岡崎栄治郎、海谷善蔵、佐竹林之助、白川久蔵、石沢角四郎、鈴木幸之助等多くの木地職人が働いた。こけしを挽いたのではなく椅子や机の脚など、家具の部… 続きを読む