猪狩勝彦

〔人物〕大正7年11月15日。福島県平の猪狩清大の次男に生まれる。佐藤誠の弟子となった猪狩庄平は長兄である。昭和24年より白石で木地を習得して、新型風のこけしを製作した。 遠刈田の佐藤文助とは木地の関係で縁故があり、昭和… 続きを読む

石塚智

〔人物〕  昭和5年11月10日、山形県飽海郡松山町前割下新田(現在の松山町地見興屋)の農業石塚卯吉、きんよの長男に生まれた。兄弟は男三人、女一人の四人であった。かつては地見興屋と下新田に別れていて、石塚家は江… 続きを読む

荒屋敷松蔵

秋田県木地山で二人挽き轆轤で木地を挽いた小椋久四郎のロクロの綱とりを務めた人。 昭和7年9月橘文策が木地山を訪れたとき、綱とりをしていた荒屋敷松蔵に会い、木地を挽く久四郎と綱を取る盲目の松蔵の写真を撮った。〈木形子談叢〉… 続きを読む

吉田勝範

〔人物〕昭和29年8月26日岩手県江刺(現奥州市)の農業及川善三の二男に生まれる。 中学校を卒業後、昭和45年4月より桜井昭二に師事して木地の修業を始めた。こけしの製作は昭和46年より行っている。桜井の職人を13年ほど務… 続きを読む

秋山かう

〔人物〕大正6年2月1日生まれ。宮城県玉造郡鳴子町の秋山忠市の妻女。秋山忠男の母にあたる。 夫の忠市は昭和18年に応召、22年に復員してこけしの製作を再開したが、そのころ忠市の木地にかうも描彩をしたことがある。数は多くな… 続きを読む

沢ロ吾左衛門文書

明治21年4月、鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門は、宮城県知事に鳴子の各種職工、生産額および販路に関する報告書を提出した。その控えとして手元に残していたものが西田峯吉によって〈鳴子・こけし・工人〉に掲載紹介された。その控え… 続きを読む

新山久治郎

文久2年3月23日、刈田郡八宮村弥治郎の新山久蔵、志うの長男に生まれた。母志うは蔵本の小室巳之助二女。新山家は代々木地師で、新山家に残されていた享保16年(1731)の山之合判に記載されている休右衛門、あるいは久右衛門を… 続きを読む

佐藤忠

〔人物〕 昭和7年4月14日、柴田郡川崎町青根温泉佐藤菊治・キツの六男として生まれる。昭和21年刈田郡遠刈田中学校卒業後に菊治につき木地修業、主に新型こけしを挽いた。なお、旧型は昭和30年頃より挽き始めている。父の菊治は… 続きを読む