
→ 佐藤佑一
〔人物〕明治42年8月13日、秋田県雄勝郡稲川村大館の木地師小椋米吉、ツメヨの長男に生まれた。小椋俊雄は次弟である。大正4年12月に一家は北海道枝幸郡原野に移住し、さらに大正7年北海道上川郡神楽村神楽町本通(旭川)に移っ… 続きを読む
〔人物〕明治22年4月20日、秋田県雄勝郡高松村120(水上沢木地山)小椋養治、カヤの長男に生まれる。父養治は小椋勇右衛門の長男で、代々初右衛門を名乗った。カヤは小椋利左衛門(吉左衛門の長男)の長女であり、カヤの母ナツは… 続きを読む
〔人物〕 明治42年4月28日、山形県山寺村芦沢の大工石山三五郎の長男に生まる。石山家は山寺で二代に亘り大工を家業とし、特に父三五郎は腕はめっぽう立ったが、そのため仕事に追われて胃を長く患い続けた。そうした背景もあって… 続きを読む
〔人物〕 明治27年8月17日、宮城県古川市中新田の酒屋伊藤権三郎、はつの二男に生まれる。明治29年3歳で父権三郎と死別後、鳴子高橋金太郎に引きとられて成長した。 木地は高等小学校在学中の11歳より金太郎の長男万五郎につ… 続きを読む
〔人物〕明治45年4月10日、酒田市外野町の木地業白畑重治、芳の長男に生まれた。木地は父に習ったほか、昭和12年ころ小田原の福井木地屋で約3ヵ月修業した。このころより動力で木地を挽き、ロクロとダライバンを併用した。以後、… 続きを読む
明治21年4月、鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門は、宮城県知事に鳴子の各種職工、生産額および販路に関する報告書を提出した。その控えとして手元に残していたものが西田峯吉によって〈鳴子・こけし・工人〉に掲載紹介された。その控え… 続きを読む
〔人物〕 明治27年7月11日、山形県最上郡大蔵村肘折の農業横山政治の長男に生まれる。叔父の横山新助は柿崎藤五郎の弟子であった。明治40年14歳で肘折河原湯の近くで木地を挽いていた佐藤周助について技術を習得した。この時… 続きを読む
〔人物〕昭和25年7月5日、岩手県花巻市の木地業煤孫実太郎の三男に生まれる。煤孫茂吉は祖父、煤孫達雄は長兄である。 昭和48年7月より父実太郎について木地の技術を習得した。昭和56年から盛造名義のきなきなを製作するように… 続きを読む