浅井小魚

秋田県鹿角郡大湯の俳匠で郷土史研究者。明治8年、大湯丁内の鍛冶業瀬川家に生まれ、本名は末吉。長じて22歳のとき浅井家に養子となった。 幼児から学問を好み、青年となるに及んで、熱心なキリスト教信者となり、布教活動もした。 … 続きを読む

赤物

赤物というのは赤い染料を使った玩具や土産物のこと。木製玩具、土人形、張子などでも広くこの呼称は使われた。 赤は疱瘡(天然痘)から守るといってこの赤物を喜んで買い求め、子供のもてあそび物にした。赤物玩具を作る人のことも、赤… 続きを読む

佐藤吉弥

〔人物〕 明治29年11月6日、佐藤吉五郎長男として、遠刈田新地に生まれる。明治42年、父吉五郎や弟留吉、吉之助等と共に、新地の吉郎平家から分家して遠刈田温泉に移った。吉弥が木地を始めた時期については、佐藤友晴著〈蔵王東… 続きを読む

柿崎文雄

〔人物〕 昭和22年5月23日、福島県耶麻郡猪苗代町白木城(現在の蚕養西大森甲)の柿崎善六の長男に生まれる。父善六は沼尻の硫黄鉱山に勤務していた。柿崎家は岩本芳蔵家と姻戚関係にあたる。 昭和38年17歳の時に、岩本芳蔵の… 続きを読む

西田静波

西田静波は明治31年9月4日生まれ、本名は清次郎、堂号は亀楽洞。大阪市東区横堀2丁目17番に居住していた。棕梠(シュロ)商で、主に刷子(サッシ、刷毛)製品を商っていた。大正初期から郷土玩具全般を集め、特に亀の郷土玩具が始… 続きを読む

岡崎斉

〔人物〕  明治30年7月1日、宮城県玉造郡鳴子の岡崎仁三郎・とき(戸籍表記は旧かなの登記)の長男に生まる。斉吉(才吉)は弟である。鳴子尋常小学校を 卒業、高等科を1年で中退し、硫黄会社に入り約2年間勤務、その後鳴子ホテ… 続きを読む

菅原富蔵

〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まれた。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の家の職人として働いた。大正15年ころに院内には椀工場があって、鳴子か… 続きを読む

佐藤博典

〔人物〕昭和10年7月12日、宮城県柴田郡青根の大工佐藤勝雄、ひろせの長男に生まれる。母のひろせは佐藤菊治の姉まつよの娘である。昭和26年頃から仙台の我妻吉助に弟子入りし、夜間高校に通いながら木地の技術を習得した。昭和2… 続きを読む

六郷満

〔人物〕 昭和6年12月11日、宮城県白石市の公務員六郷直、きしの五男に生まれる。満の父、直は、若いころ教師をしていたが、満が出生した昭和6年には営林署の山巡査をしていた。母きしは昭和13年満が7歳の時に病死した。父は再… 続きを読む

大内今朝吉

〔人物〕 明治16年11月25日福島県安達郡岳温泉の旅館主鈴木治三郎・カメの次男に生まれる。父治三郎は、明治10年安達郡石井村鈴石字堀越より婿入りし、温泉宿扇屋を営む傍ら農業にも従事していた。この当時の岳温泉は深堀という… 続きを読む