新山慶美

〔人物〕大正14年8月3日、弥治郎新山慶治・かつの長男に生まれる。父の慶治は弥治郎の佐藤幸太の二男で、新山栄五郎の長女かつと結婚した。慶美が出生した後、新山家の家督相続権は慶美が受け継ぐこととなり、父慶治は大正15年に佐… 続きを読む

新山勝洋

〔人物〕昭和17年3月30日、宮城県弥治郎出身の新山定雄、スイの次男に生まれた。父の定雄は弥治郎の新山久治郎の4男にあたる。新山久治、福太郎、左内は勝洋の伯父である。 従来の文献では名前を「勝祥」として紹介されたことが多… 続きを読む

佐藤伊太郎

〔人物〕 明治2年(月日不明)、青森県津軽郡山形村温湯の木地業佐藤伊助の長男に生まれた。津軽の木地業は古く藩政時代にさかのぼり、温湯には8軒の木地屋が居たといわれる。佐藤家はその一つで代々太左衛門を名乗り、6代前の祖が嶋… 続きを読む

稲毛豊

〔人物〕 昭和4年2月19日、福島県飯坂の会社員稲毛常次郎の長男として生まれる。もともとは板前として働いていたようであるが、家が近所であったこともあり、喜平のもとへ行って弟子入りを頼んだ。昭和47年5月に渡辺喜平に弟子入… 続きを読む

我妻勝之助

〔人物〕明治8年(推定)、宮城県刈田郡宮村遠刈田小妻坂に生まる。明治24年17歳のとき、遠刈田新地の佐藤周治郎について木地を習得。周治郎とともに大宮源ハエ揚の職人として働いた。 明治27年20歳のとき木材の重量を測るため… 続きを読む

西山憲一

〔人物〕 大正9年6月13日福島県土湯温泉木地業西山勝次・キクの三男に生まれる。昭和10年高等小学校卒業後、父勝次について木地を修業、こけしの製作は戦後の昭和22年頃より行うようになった。名前は〈鴻〉の時代より知られてい… 続きを読む

村井操

〔人物〕  大正元年11月11日、青森県南津軽郡大鰐村湯野川原の木地業村井福太郎の四男に生まれる。昭和2年大鰐尋常小学校を卒業。兄の久雄、鉄雄、猛雄が相次いで早世したので、操が木地業を継ぐことになり、昭和8年22歳より父… 続きを読む

伊藤泰輔

岡崎栄治郎が山形市七日町柳町で木地業を営んでいたときの弟子。山形専売局に勁めていたが、怪我をして巡視となり、巡視の仕事が一昼夜交代のため、隔日に栄治郎の店へ来て木地を習った。栄治郎とは縁故があったらしい。村上周蔵は兄弟弟… 続きを読む

大槻千代吉

〔人物〕大正7年5月4日生まれ。宮城県刈田郡蔵王町遠刈田の作田栄利に師事して木地の技術を習得した。独立後は新型木地や玩具類を主に挽いていたが、昭和30年代頃から時に遠刈田の伝統的なこけしも作るようになった。こけしの製作数… 続きを読む