〔人物〕 明治30年9月10日、遠刈田新地佐藤文治・はるの次男に生まれる。佐藤丑蔵は長兄、佐藤誠次は弟である。明治43年4月丑蔵について山形県肘折に移り、肘折小学校に編入、同時に肘折にいた叔父の佐藤文六について木地を学ん… 続きを読む
太子型
土湯系のこけしの小寸のもので胴が膨らみ裾がくびれて、台座形がついたものを太子型と呼んでいる。土湯の太子堂にちなんだもので、この型のこけしを求めて太子堂に奉納すると、願い事がかなうと言って、子供を授かりたい人や、病気平癒を… 続きを読む
大内一次
〔人物〕 明治42年1月7日、福島県岳温泉の木地業兼土産物店経営鈴木今朝吉・アキの長男に生まれる。大正9年両親が岳下村大内鉄蔵の夫婦養子となったため一次も大内姓に変わった。大正13年16歳のとき栃木県日光町の木地師白井亀… 続きを読む
佐藤武直
[人物] 昭和50年4月16日宮城県名取郡秋保町湯元字薬師20の木地業佐藤円夫、茂子の長男として生まれる。平成6年3月宮城県立農業高校卒業後、㈱仙台紙器会社に入社した。間もなく、父円夫が仕事中に腰を痛めて約3ヵ月仕事が出… 続きを読む
佐藤憲雄
〔人物〕 昭和23年6月6日、遠刈田新地佐藤照雄の長男として生まれる。昭和38年3月遠刈田中学校卒業後、照雄につき木地修業、昭和39年よりこけしを作り始めた。妻女すみえとの間に一男二女をもうけた。 昭和の末に「遠刈田若手… 続きを読む
佐藤雅弘
〔人物〕 昭和12年3月1日宮城県刈田郡福岡村字鎌先(現在の白石市鎌先温泉)にて佐藤雅雄の三男(長男:直樹・次男:博・弟に光雄、善幸がいる)として生まれる。昭和28年直樹より本格的に木地挽きの指導を受ける,この頃直樹の工… 続きを読む
作田栄利
〔人物〕 明治31年7月9日、宮城県刈田郡遠刈田温泉商業作田良瑞長男として遠刈田温泉に生まれる。大正2年遠刈田新地の佐藤吉郎平の弟子となり木地を修業した。佐藤吉弥、佐藤巳之吉は兄弟子である。大正5年に年期が明け、お礼奉公… 続きを読む
小浜子守地蔵尊
福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつ… 続きを読む
大竹地蔵尊
福島市荒井字寺屋敷にある白山寺は、「大竹子育地蔵尊」として知られる。ここに収められている多数の木彫りの地蔵尊は、形態がこけしに通じるものがあり、こけしの前駆的な存在であろうという人もいる。ただし、こけしとの関連を示す確実… 続きを読む
阿部好
〔人物〕昭和9年2月20日、山形県上ノ山に生まれる。木地の修業を志して、遠刈田の佐藤哲郎に師事した。技術習得後、上ノ山に戻った。こけし製作を始めるにあたって、実家が荒井金七の家に近かったので金七の遺族と話をして、昭和53… 続きを読む