渡辺定巳

〔人物〕 大正6年3月8日、福島県土湯の山根会津屋渡辺治作、イクの次男に生まれた。祖父は金作、曽祖父は渡辺和右衛門である。父金作は林業に従事し、箆や下駄を作ったが、特に箆作りの名人といわれた。定巳は昭和3年3月上洛尋常小… 続きを読む

佐藤直英

〔人物〕 昭和44年7月17日、佐藤英太郎、洋子の長男に生まれる。生まれた時に英太郎は日本鋼管に勤務していたので一家は神奈川県川崎市にいたが、間もなく家族で英太郎の故郷宮城県蔵王町遠刈田に帰った。 昭和56年頃、木地の練… 続きを読む

平瀬貞吉

〔人物〕 明治39年8月21日、米穀仲買人平瀬長蔵の次男として、秋田県仙北郡角館町に生まる。家は代々長八と称し、佐竹公遷封の折り、これについて水戸からきたといわれている。祖父長八は角館春慶塗を業としており、貞吉はその業を… 続きを読む

佐々木要吉

〔人物〕 明治11年11月3日、岩手県志戸平佐々木与市・スワの4男に生まる。父与市・長兄角次郎について木地を修業した。明治37年稗貫郡湯口村大字上根子の伊藤文次郎長女ミ子と結婚、婿養子となって湯口村大沢温泉 (現在、花巻… 続きを読む

平賀輝幸

〔人物〕  昭和47年3月1日、こけし工人平賀謙一の長男として宮城県作並に生まれる。 昭和62年ころからロクロに向かっていたが、正式な修業は高校卒業した平成2年3月からであり、こけしもこの時期から製作している。… 続きを読む

竹野銀次郎

〔人物〕 明治13年鶴岡に生まる。同市大宝町で木地業を営んだが、師匠、こけし製作の有無などについて問題の多い工人である。〈こけしと作者〉には、未亡人と息子鉄太郎の話として、温海の阿部常松に師事し、仕事振りはきわめて厳密で… 続きを読む

平塚弥三郎

鳴子高橋亀三郎の弟子。山形県出身。大正初年高亀に入り木地を習得した。武男の話によれば「こけしを描くまでにならなかった」という。高亀をやめると鶴岡の竹野銀次郎の職人となった。大正13年没。詳細の経歴は不明。 こけしを作った… 続きを読む

脇本三十郎

〔人物〕明治34年、秋田県能代市清助町の米屋脇本三十郎の長男として生まれた。幼名幸広。兵隊検査の年に、四代目三十郎の名を継ぐ。木地は初代。大正7年に能代工業講習所挽物科に入学、同9年4月卒業と同時に、同校挽物専攻科に進ん… 続きを読む

福田良助

〔人物〕 明治32年ころの生まれ(推定)。大正2年15歳ころ横手の浅利製材工場で働いていた大沼熊治郎(鳴子出身・昭和4年没)につき木地を修業。熊治郎は横木専門であったため、玩具やこけしを作らなかった。その後、熊治郎は良助… 続きを読む

高崎栄太郎

〔人物〕 明治33年1月30日、高崎栄吉の長男として山形に生れた。米沢で木地業を営んでいた高崎栄一郎は弟である。父の栄吉は山形歩町の傘屋の元祖であったが、後に服屋となった。 栄太郎は家業の服屋を継ぐのがいやで大正2年、1… 続きを読む