宮城県柴田郡川崎村川崎の出身。明治7年頃の生まれ。青根の菊地きよし戸籍名きよは姉にあたり、きよしの婿が茂平(安政松年頃の生まれ)である。きよし、茂平夫婦の養子に山形出身できよしの甥にあたる孝太郎が入った。勝三郎は明治19… 続きを読む
小椋勝雄
〔人物〕明治42年8月13日、秋田県雄勝郡稲川村大館の木地師小椋米吉、ツメヨの長男に生まれた。小椋俊雄は次弟である。大正4年12月に一家は北海道枝幸郡原野に移住し、さらに大正7年北海道上川郡神楽村神楽町本通(旭川)に移っ… 続きを読む
佐藤五月
明治33年6月15日、佐藤栄治、ふよの三男として、宮城県刈田郡福岡村大字ハ宮字弥治郎南69番地に生まれた。伝内、勘内の弟にあたる。こけしも相当作ったというが、その作品は未確認である。大野栄治の話では甥の佐藤伝のこけしがよ… 続きを読む
佐藤小治郎
明治29年ころ山形市営町1994に生まれた。明治41年に小林倉吉に入門、大正4年11月年期明けした。翌5年2月までお礼奉公、その後五百川鉄工所に入り、織機の巻取りロール挽きをしていた。昭和8、9年、脳溢血で死亡。兄弟子の… 続きを読む
八鍬亀蔵
明治10年6月24日、山形県最上郡南山村肘折に生まれた。八鍬安蔵(五代目林蔵)の長男。明治26年5月12日に父安蔵が44歳で没したが、当時亀蔵はまだ17歳だったので、祖父の鶴蔵(四代目林蔵)が六代目林蔵を再継、明治29… 続きを読む
矢口権佐久
明治34年ころ山形にて生まれた。蔵王高湯の岡崎長次郎について木地を習得した。大正12年春から13年春までと、大正14年2月から10月までの二回岡崎長次郎方で職人として働いた。山形の山川源吉、山寺の佐藤正雄は兄弟弟子である… 続きを読む
白川久蔵
明治25年(推定)宮城県柴田郡前川村(現在の青根)の木地師佐藤久吉、りんの三男に生まれた。父久吉は青根の丹野工場の職人であり、長兄久助、次兄子之助も木地師として知られる。また父久吉の妹ふよは弥治郎の佐藤栄治に嫁いでいたの… 続きを読む
菊地三九郎
菊地英次郎
宮城県加美郡宮崎村湯川(現在の宮崎町)の出身。菊地三九郎の弟である。明治37年ころ、兄三九郎の師匠である鳴子の高橋勘治の弟子となり3年間木地を作業した。勘治につれられて、盛、忠志、誓と共に烏川(加美郡宮崎村との境の山)へ… 続きを読む
菅野武志
明治39年ころ、宮城県白石市福岡村深谷に生まれた。大正7年13歳で山形県及位の佐藤文六の弟子となり、7年間修業した。遠刈田我妻信雄の父庄三郎もこのころ及位の文六のもとにいた。 のちに東京へ出て、転業し左官などをしていたと… 続きを読む