
〔人物〕 明治33年12月5日、遠刈田の鋤鍬柄師我妻与七の長男に生まれた。大正元年遠刈田尋常高等小学校を卒業後、吉田畯治の木地工場に入り、食費自弁の契約で働いた。当時吉田の木工所には、佐藤治平、佐藤倉吉(平沢出身、吉郎平… 続きを読む
〔人物〕 明治33年12月5日、遠刈田の鋤鍬柄師我妻与七の長男に生まれた。大正元年遠刈田尋常高等小学校を卒業後、吉田畯治の木地工場に入り、食費自弁の契約で働いた。当時吉田の木工所には、佐藤治平、佐藤倉吉(平沢出身、吉郎平… 続きを読む
〔人物〕 昭和4年8月14日、宮城県遠刈田温泉の同業組合検査官作田栄利の長男に生まれる。作田隆は叔父、作田孝一は従兄弟にあたる。昭和18年高等小学校卒業後、塩釜海員養成所に入り、昭和19年より上船勤務に服した。下田で終戦… 続きを読む
〔人物〕昭和3年10月7日農業佐藤昇、きくの長男として宮城県福岡村弥治郎に生まれる。佐藤慶明、慶春は弟にあたる。父昇は八宮の農業志村要右衛門の子で、弥治郎の佐藤今三郎の娘きくと結婚して養子となった。 辰雄は小学校卒業後製… 続きを読む
〔人物〕 昭和23年12月26日、宮城県刈田郡福岡村八宮字弥治郎の農業佐藤朝治の長男に生まれる。佐藤伝内のひ孫にあたる。白石市立福岡中学校卒業後、主に自家で農業に従事していた。伝内の三男佐藤伝喜より木地継承を勧められたこ… 続きを読む
〔人物〕昭和30年1月4日、会津若松の電気技師秋山孝の三女に生まれる。4人兄妹の末子。母親の祖は土湯上の松屋の系譜とつながりがあると言う。おとなしい性格だったが運動神経に優れ、高校時代にはバトミントン部で主将として全国大… 続きを読む
山形県鶴岡の生まれ。竹野銀次郎について木地を習得した後、箱根にて修業した。〈こけし手帖・25〉の深沢要遺稿集によると、「大正11年帰郷後、こんなものを作ってくれとの、商人の依頼により、少量のこけしを作ったに過ぎない。もち… 続きを読む
〔人物〕 昭和57年4月6日、木地業佐藤誠孝、美喜子の二男として福島県いわき市に生まれる。兄は佐藤英之である。若いころより絵画に興味を持ち、高校卒業後は絵画関係の専門学校に進んだ。「夏井裕」の雅号で作品を発表、絵画の活… 続きを読む
〔人物〕明治8年5月20日、佐藤友治、いち(戸籍表記いつ)の長男として宮城県刈田郡宮村(遠刈田新地)に生まる。戸籍名佐藤松之助。古い文献では明治5年生れとされているが誤りである。明治14年小学校入学以来、学校の帰りに、本… 続きを読む
明治28年、宮城県刈田郡円田村平沢の村上庄五郎次男に生まれた。明治40年13歳の時、遠刈田の佐藤善八に弟子入りし、5年間木地を習った。師の善八は父庄五郎の義兄にあたる。その後及位の佐藤文六の工場、肘折の最上木工所、湯田の… 続きを読む