タグ別アーカイブ: 松田初見

大沼宜輔工場

戦後、昭和20年代はじめから昭和30年代終わりまで、鳴子湯元の坂に面して土産物店を開業していた大沼宜輔が経営していた木地工場。湯元の坂を登る左手、現在の鳴子ホテルの通用口の向かい側にある大沼薬局の前身が宜輔の土産物店であ… 続きを読む

小野寺常松

明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴… 続きを読む

阿部賢作

〔人物〕詳細不詳。昭和20年代から30年代にかけて松田初見の弟子となり木地を挽いた。こけしも製作したが、おそらく製作期間は短く、残る作品は少ない。  昭和22年の〈がらがら・5号〉に大阪の中島米荘による鳴子の阿… 続きを読む

菅原直義

〔人物〕昭和8年2月20日、鳴子自由業菅原直治・ことぢの三男に生まる。昭和23年3月鳴子中学校卒業後、昭和24年8月より鳴子の大沼宜輔工場で松田初見より木地を習った。昭和28年7月よりこけしは製作している。昭和33年頃大… 続きを読む

松田淑子

〔人物〕昭和5年2月25日、宮城県岩出山の大場忠の長女として生まれた。鳴子のこけし工人松田三夫と結婚した。松田忠雄は長男である。夫三夫のこけし製作を手伝っていたが、義父松田初見や三夫のこけし描彩を見ながら学んで、昭和40… 続きを読む

松田忠雄

〔人物〕  昭和31年5月2日、宮城県玉造郡鳴子町上鳴子のこけし工人松田三夫、淑子の長男に生まれる。中学校時代より木地挽きに親しんでいたが、昭和50年岩出山高等学校を卒業して、昭和52年より祖父松田初見、父松田… 続きを読む

松田真澄

〔人物〕 昭和34年8月19日、宮城県古川市の農業野田勇夫、かほるの長女に生まれる。昭和53年古川学園高等学校を卒業。昭和57年鳴子のこけし工人松田忠雄と結婚、平成4年ころから、夫忠雄の指導を受けてこけしの製作を始めた。… 続きを読む

遊佐民之助

〔人物〕  明治22年2月5日、宮城県加美郡大平の遊佐健治・きんの長男に生まる。父健治は岩出山の出身、母きんは文久元年6月21日生まれで、鳴子の塗師高野幸作(幸八の父)の次女である。明治27年6歳のときに父と死… 続きを読む

松田大弘

〔人物〕 平成2年1月25日宮城県大崎市鳴子温泉字上鳴子のこけし工人松田忠雄、真澄の長男に生まれる。三人姉弟で姉が二人いる。松田初見は曽祖父、松田三夫は祖父にあたる。平成29年3月に東京国際大学大学院修士課程を修了した。… 続きを読む

松田三夫

〔人物〕  昭和3年9月16日、宮城県玉造郡鳴子町上鳴子の木地業松田初見の長男に生まれる。鳴子高等小学校を卒業後、上京して蒲田の鉄工所に勤めるなどいくつかの職について働いたが、戦争が始まって昭和18年ころ鳴子に… 続きを読む