佐藤吉雄

〔人物〕明治42年12月20日、宮城県栗原郡島矢崎村字中野田町前に、菅原東治、みよしの三男として生まれた。菅原庄七は実兄で、東治、みよしの二男にあたる。 昭和5年ころから秋保の佐藤三蔵について木地の修業を始めた。秋保の佐… 続きを読む

佐久間伝六

〔人物〕昭和6年10月21日、福島県伊達郡川俣町日和田の木地業佐久間太市、マスエの六男に生まれた。昭和20年3月川俣国民学校高等部を卒業、同年8月に福島瀬上で終戦を迎えた。その後、父について木地を修業し、川俣織物工場にお… 続きを読む

大類連次

〔人物〕明治42年4月28日、秋田県雄勝郡川連村久保の木地打師樋渡徳太郎、スエノの次男に生まれた。長兄は治一。川連小学校を卒業し、15歳から久保の高橋兵治郎、兄の樋渡治一について立木木地を習得した。約10年間木地を挽いた… 続きを読む

岩松直治

宮城県作並の木地師岩松直助の息子、おそらく長男と思われる。弟もいたが、弟は明治10年5月10日に、直治は明治11年9月12日に亡くなっている。舎弟は西南の役(西南戦争)に従軍し、そのための死であったと言われている。 過去… 続きを読む

小椋甚九郎

〔人物〕明治32年6月6日、福島県耶麻郡岩月村の木地師小椋千代五郎、タツの二男に生まれた。学校卒業後、父千代五郎について木地を修業した。会津若松と喜多方の漆器の木地下を挽いていたが、昭和元年父の病気と共に喜多方市に移住、… 続きを読む

小椋岩右衛門

小椋信右衛門の子。信右衛門一族は文化10年(1827)に近江を出て信州に移り、文政年間に宮城県玉造郡中山平に漂移し、蛭谷系の氏子狩に応じた。岩右衛門は天保七年(1836)の飢饉に追われて羽後に入り、雄勝郡高松村桂沢に木地… 続きを読む

大沼志けよ

明治27年2月7日、大沼浅吉、せいの三女として宮城県鳴子に生まれた。母せいは大沼岩太郎の長女、浅吉は岩太郎の養子に入った。きのひ、みつのは姉、竹雄、正雄は弟にあたる。小学校在学中より姉きのひとともに祖父岩太郎や父浅吉のこ… 続きを読む

伊藤仁蔵

宮城県本吉郡横山村門前(現在の本吉郡津山町横山)に住んでいた鳴子系の木地師。深沢要により昭和9年に発見された横山こけしの作者佐藤善七の師匠として知られている。鳴子で修業した人で日頃から挽物玩具を背負って横山近郊の農家へ売… 続きを読む