たつみ

東京でこけしを扱った店。店主は森亮介(本名 二良)。 戦前昭和16年に開業した第一次たつみ(麻布霞町1番地 昭和16年~昭和18年5月)、戦後の第二次たつみ(板橋区仲宿27 昭和35年の約8ヶ月)、第三次たつみ(中野区鷺宮3-41-16 昭和36年6月~昭和49年7月)、第四次たつみ(三鷹市井の頭1-2-16 昭和49年8月~昭和63年)、第五次たつみ(あきるの市二宮東3-3-44 昭和63年4月)と場所を変えながら、特色のあるこけしを扱った。特に昭和40年以降は、店主森亮介がこれはと目をつけた工人に徹底的に密着して、その工人の師匠や先代、あるいは本人の戦前作を蒐集家より借りて持参し、復元を依頼した。その復元は、森亮介の芸術的感覚と、迫力ある影響力が工人の創作意欲を刺激し、多くの場合成功した。こうして、たつみに行かないと手に入らない魅力的な作品が次々に誕生し、多くの蒐集家が日参したので「たつみ詣で」という言葉も生まれた。

店主森亮介の略歴は以下のとおり。

明治38年5月17日、森竹十郎・きく の二男として、東京本所緑町に生まれた。戸籍名二良。長兄一良が写真師であったので、二良も大正12年旧制成東中学校を卒業すると兄について写真師となり、大正13年から昭和3年まで5年間渋谷で、森兄弟写真館を経営した。二良が加わると間もなく兄はマラリヤで亡くなったので殆ど二良がこの店を守った。
昭和4年24歳のとき、渡米を決意、写真館を他人に譲り、5千円ほど工面して、アメリカに渡った。 ロスアンジェルス、セントルイス、ニューヨークを転々として、セントルイスではOrville C Conkling のstudio、ニューヨークではNickolas Murayのportrait studio に勤務し、写真の技術を深めた。昭和6年、ドイツの移民船に乗って フランスに渡り、 昭和13年まで8年間パリで写真の研究を続けた。このとき画家岡本太郎や金子一も友人で、岡本太郎とはともに屋根裏部屋で苦学したという。パリでは百貨店のMagasins du Printempsで写真の修正技師としても働いた。帰国後は 服飾界、美容界等フリーランサーとして活躍する。
昭和14年パリ時代の友人金子一の妹冨士子と結婚、冨士子が母と暮らしていた麻布霞町で新生活を始めた。この家は電車通りに面していたので店を開くことを思いつき、昭和16年から 文房具店を始めたが、傍らに郷土人形や趣味の品も並べた。そこに店の客としてきたのが内藤子爵(内藤頼輔か)で、これを並べてみたらと中古のこけしを300本ほど預けた。いくらで売ったら良いかわからなかったが、これに値段をつけたのが溝口三郎であった。これが 麻布霞町1番地の第一次たつみのスタートである。この店は昭和18年5月23日の空襲で焼失した。
戦後は写真家として再出発したが、昭和35年中心性網膜炎を患い、また乱視と老眼が進んだことから写真家を断念、一念発起して家作を売り払い、板橋に第二次たつみを開業した。たつみ再開に当たっては戦前に親しく付き合った工人伊藤松三郎や佐藤春二が協力して作品を送ってくれたという。以後、第五次まで店を変えながら、一貫してこけし店たつみの店主として人生を送った。昭和58年夏に妻冨士子が他界し、高齢になった亮介は昭和63年に娘の住んでいたあきるの市に移って、第五次たつみを開店したがその約2ヵ月後の昭和63年5月30日午前5時21分、心不全にて他界した。行年 数え年84歳。
初対面の人とでも話し始めると身振り手振り華やかで、話は尽きず、こけしを語るその熱情に巻き込まれて常連となるお客も多かった。パリ仕込のダンディで、ベレーをかぶって颯爽と歩き、産地への行き返りの汽車は常に二等席(現在のグリーン車)であった。

tatsumip1 tatsumip2
第四次井の頭時代の森亮介・冨士子夫妻と店の様子

☆ たつみで扱った主なこけし ☆
★第一次たつみ:岡崎長次郎、斉藤松治、佐藤春二、佐藤円吉など
★第二次たつみ:佐藤春二(茂吉型、幸太型)、高橋忠蔵
★第三次たつみ:高橋忠蔵、高橋佳隆、佐藤春二、伊藤松三郎、佐藤丑蔵、佐藤誠(嘉三郎型)、佐藤菊治(本人古型)、佐藤好秋(本人古型)、佐藤巳之助(周助型)、佐藤昭一(周助型)、二代目佐久間虎吉(初代虎吉型)、大内一次(今朝吉型)、菅原庄七(本人作り付け古型)、菅原敏(三蔵型、庄七型)、瀬谷重治(善吉型)、佐藤春二(本人古型)、岡崎直志(岡崎久太郎型)、佐藤文男(文助型、丑蔵古型)、佐藤精志(精助型)、井上ゆき子(春二古型)
★第四次たつみ:阿部勝英(治助型)、小関幸雄(本人古型、栄五郎型、福太郎型)、里見正雄(胞吉型)、小林忠次郎(清蔵型)、小林誠太郎(倉吉型)、佐藤誠孝(誠型、精助型、嘉三郎型)

特に、佐藤巳之助の周助型シリーズは、復元の出来もよく、周助の名品、名物といわれる作品を体系的に復元したので圧巻であった。
また若手工人や、中年からこけしを始めた工人の中には、たつみのシリーズ復元をとおして、先人の作風を体得することが出来、大成したものも多くいた。
散発の商売本位の復元ではなく、工人にほれ込んで徹底的なシリーズ復元をどこまでも追い求めるところにたつみの本領があった。

ささやき
たつみから発行された小冊子「こけしのささやき」1号から3号まである。

tatsumit
毎月のように謄写版印刷に色付けした「たつみ特頒」のはがきが蒐集家のところに届いた。

☆ ある蒐集家のこけし購入録 ☆
(昭和40年~44年たつみより購入分)

昭和40年1月 大内一次 6寸 280円
奥山喜代治 8寸 450円
昭和40年6月 大沼健三郎3本 各5寸 各150円 地蔵型
大原正吉 8寸 780円
昭和40年9月 佐藤菊治2本 各8寸 各450円 古型復元
昭和40年11月 佐藤丑蔵2本組 8寸5分、7寸 850円 大正型
昭和41年1月 佐藤昭一 650円 周助型
佐藤好秋 7寸 350円 古計志加々美復元
昭和41年2月 佐藤巳之助 1150円 周助型
佐藤巳之助 8寸 950円 周助型
佐藤昭一 950円
昭和41年4月 佐藤巳之助 8寸 950円 黒頭
昭和41年5月 佐藤英裕 6寸5分 300円 初作
佐藤昭一2本 各4寸5分 900円
佐藤文男2本 8寸、5寸3分 600円
菊池孝太郎2本組 各4寸5分 350円
佐藤丑蔵 6寸 200円 地蔵型
菊池孝太郎 6寸5分 300円 古型
昭和41年6月 佐藤菊治 7寸8分 450円 竹内茂蔵復元
菅原庄七2本組み 4寸、3寸 200円 こけし這子の話の復元
高橋忠蔵3本組 各尺 各800円 昭和11年作復元
昭和41年7月 菅原敏 8寸 500円 三蔵型
菅原庄七 4寸5分 180円
高橋忠蔵 3本 4寸5分 各150円 昭和11年作復元
昭和41年8月 佐藤巳之助 9寸6分 1200円
菅原敏 8寸 500円
昭和41年9月 菅原庄七 5寸 200円
佐藤誠 8寸 1000円 嘉三郎型
菅原敏 750円 中屋蔵三蔵復元
昭和41年10月 佐藤昭一 1400円
昭和41年11月 大内一次2本 各6寸 各400円 飯田莫哀蔵今朝吉型
佐藤巳之助 1500円 古計志加々美復元
阿部常吉 7寸 600円 小野洸蔵常松型
昭和41年12月 佐藤巳之助 8寸 800円 久松蔵周助型
大内一次 6寸 400円 鹿間蔵今朝吉型
昭和42年1月 大内一次 6寸 400円 鹿間蔵今朝吉型第2作
佐藤菊治 8寸 400円 竹内茂蔵古作復元
佐藤昭一 6寸 600円 旧金井、酒井蔵周助型
佐藤春二 8寸5分 1000円 白鳥蔵古作復元
岡崎直志 8寸4分 750円 久松蔵久太郎型
昭和42年3月 岡崎直志3本組 6寸、4寸 1300円 久松蔵栄治郎型
 佐藤巳之助 8寸5分 1100円
昭和42年4月 佐藤巳之助 1000円
昭和42年6月 佐藤昭一 4寸5分 450円
佐藤巳之助 尺1寸5分 2200円 久松蔵周助黒頭
昭和42年9月 佐藤昭一 8寸5分 900円 明治型丸頭
昭和42年12月 佐藤昭一 8寸 900円 現代型
昭和43年5月 佐藤巳之助 1500円
佐藤巳之助 7寸5分 1200円
佐藤巳之助 尺1寸5分 2200円
佐藤菊治2本 4寸5分 各400円
昭和43年6月 佐藤昭一 8寸 1200円
昭和43年8月 菅原敏 7寸 350円
菅原敏  5寸 280円
佐久間虎吉2本組 7寸、5寸 1300円 久松蔵初代復元
昭和43年12月 佐久間虎吉 7寸5分 700円
昭和44年3月 佐藤文男 7寸 400円 酒井蔵丑蔵型
佐藤巳之助 尺2寸 2200円 周助型黒頭

森亮介本
工人佐藤誠の長男光良が執筆発行した〈技の手紙〉(みずち書房)1986
森亮介とたつみのことが良く分る。

〔参考〕
森亮介没後、東京都あきる野市の「たつみ」と茶房「木偶」は娘さんが後を継いで営業を続けた。
⇒  たつみ 茶房 木偶

[`evernote` not found]