作成者別アーカイブ: hashimoto

田邉香

〔人物〕昭和49年9月15日、埼玉県戸田市の石英ガラス加工職 峰岸忠男の三女に生まれる。平成10年3月北里大学水産学部を卒業後、水産会社の研究室や水質分析の仕事に従事した。平成22年に結婚した。 元々職人の手仕事への憧れ… 続きを読む

川口貫一郎

戦前の東京こけし会の創立に関わって〈こけし〉誌(昭和14年6月~昭和19年1月)を編集発刊、戦後は伊勢にて〈こけし〉誌(昭和24年1月~昭和47年7月)を142号まで発刊した。東京こけし会の中心メンバーであり、伊勢こけし… 続きを読む

中ノ沢木地講習会

大正13年6~9月、福島県主催で中ノ沢で開催された木地講習会。講師として遠刈田の佐藤豊治が招聘され、こけしや木地の技術指導をした。磯谷直行、酒井正進、氏家亥一、海谷七三郎、佐藤文六(秋保)、笹川菊之助、岩本芳蔵等も参加し… 続きを読む

がらがら

昭和22年1月より大阪の寺方徹が主宰する鶏畔會が刊行した趣味誌。 B6判、半紙リーフレット。表紙に木版画一葉貼付。謄写版。 鶏畔會の同人は、青山一歩人、浅田新水、小林児朗、瀬川瑠璃園、寺方卅石、中島米荘、山下光華の諸氏。… 続きを読む

荒屋敷松蔵

秋田県木地山で二人挽き轆轤で木地を挽いた小椋久四郎のロクロの綱とりを務めた人。 昭和7年9月橘文策が木地山を訪れたとき、綱とりをしていた荒屋敷松蔵に会い、木地を挽く久四郎と綱を取る盲目の松蔵の写真を撮った。〈木形子談叢〉… 続きを読む

木地屋文書

木地屋の祖が、文徳天皇第一皇子の惟喬親王であるとする伝説がある。その伝説をふまえて、木地屋の特権を保証する天皇の綸旨、大名からの免許状、また諸国への移動を可能にする往来手形、宗門手形等の文書類を木地屋文書という。  惟喬… 続きを読む

東京こけし會

昭和10年代に天江富弥の居酒屋銀座勘兵衛に集まった川口貫一郎、加賀山昇次、稲垣武雄らの愛好家が中心となって、設立されたこけしの愛好会。昭和12年頃より、東京こけし會の名前で活動を始めていたが、正式に同好の趣味の会として発… 続きを読む

渋沢敬三

明治29年8月25日 、渋沢篤二と敦子夫妻の長男として東京深川に生まれた。祖父は「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一。敬三も第一銀行副頭取を務めた後、日本銀行に移り、昭和19年に第16代の日本銀行総裁となった。 実業界… 続きを読む

小林吉次

明治14年8月6日、小林倉治五男として山形市に生まれた。明治25、6年から4年間米沢の小間物問屋に丁稚奉公に出さ、帰郷後父の倉治に就いて木地を修業した。弟吉三郎によると香具師(露天商)の仲間に入り、各地を売り歩いたという… 続きを読む

山形県主催奥羽連合共進会

明治44年5月8日、お薬師様の植木市当日に発生した火災は、山形の市街地北部を焼き尽くして、「市北大火」と呼ばれている。この火災により、官公庁や金融機関等主要な施設を含めた市街地北部のほとんどが焼失した。焼失戸数1,240… 続きを読む