
〔人物〕 明治19年10月14日(戸籍面では18日)、大沼平三郎の三男として鳴子に生まる。通称を要という。長兄は戸籍名を要といい、通称を誠という。父平三郎は沢口吾左衛門文書(明治21年)にも記録される木地師で、大沼岩太郎… 続きを読む
〔人物〕 明治19年10月14日(戸籍面では18日)、大沼平三郎の三男として鳴子に生まる。通称を要という。長兄は戸籍名を要といい、通称を誠という。父平三郎は沢口吾左衛門文書(明治21年)にも記録される木地師で、大沼岩太郎… 続きを読む
〔人物〕 大正4年5月14日、宮城県玉造郡鳴子町の大沼新兵衛、きみよの長女に生まれる。戸籍表記はキミコ。高等小学校卒業後、大正14年4月に家族で仙台に移った。父新兵衛は仙台で仙台工業試験場に勤めた。母きみよは昭和16年に… 続きを読む
〔人物〕生年月日不詳。宮城県鳴子で生まれ、昭和35年より高勘の高橋盛雄について木地を学んだ。その後、高勘の職人として木地を挽き、伊藤保夫名義のこけしも発表したが、昭和39年頃に小田原に転出した。〈こけし辞典〉で工人項目と… 続きを読む
〔人物〕 昭和36年3月19日、秋田県由利本荘市に生まれる。昭和56年3月秋田市保戸野の聖園短期大学を卒業後、市内の保育園に勤務、昭和59年結婚、平成26年3月に保育園を退職した。同年4月より市の児童館に勤務し、同時に… 続きを読む
〔人物〕 明治14年12月18日、宮城県遠田郡涌谷の商業秋山清八郎・らんの長男に生まれる。秋山忠、慶一郎、清作は弟である。秋山家は代々士族であったが、維新後は一族北海道に渡り、清八郎家のみが墓守りに残った。 … 続きを読む
〔人物〕 明治42年12月9日、山形県西田川郡温海町温海の時計修繕業本間卯太郎、ことの五男(末子)に生まれる。兄が塗師であった関係で、両親より木地挽の修業を勧められ、大正13年4月16歳のとき、鳴子の岡崎斉の… 続きを読む
〔人物〕 明治43 年7月20日、山形県北村山郡東根町大字東根甲413の農業天野又右ヱ門・ヤノの二男に生まれた。 丁度この頃、大旱魃が二年に渡って続いたので、又右ヱ門は敷地内に独鈷井を試み、32間… 続きを読む
〔人物〕 明治2年10月8日、宮城県玉造郡鳴子村の塗師高野幸作・登(と)よの八男に生まれる。父幸作は旅館業高野四郎作の三男、母とよは高橋万右衛門(現鳴子ホテル)の次女。明治21年4月の沢口吾左衛門文書には高野… 続きを読む
〔人物〕 明治10年7月5日、宮城県玉造郡鳴子木地業遊佐佐吉(幼名 万左衛門)・とよの二男に生まれる。祖父万四郎は高橋直四郎が亡くなった後、妻久の後夫となり佐吉が生まれた。したがって佐吉は直四郎長男直蔵の義弟に当たる。… 続きを読む