カテゴリー別アーカイブ: 鳴子系

大沼秀雄

〔人物〕  昭和5年2月18日、鳴子大沼竹雄の次男に生まる。父竹雄は昭和15年1月5日に41歳で亡くなったため、直接父より指導をうけることはできなかった。昭和19年鳴子高等小学校を卒業後、終戦まで塩釜のドックで… 続きを読む

佐藤養作

〔人物〕明治42年1月24日、宮城県栗原郡金田村の農業佐藤養右衛門、ハナの長男に生まれた。母ハナの実家白鳥家は鳴子高橋亀三郎の娘を引き取り育てた縁があり、養作は高等小学校を中退すると鳴子の高橋武蔵について木地を習得した。… 続きを読む

菅原昌秀

〔人物〕 昭和46年6月29日、宮城県玉造郡鳴子町のこけし工人菅原和平、くにみの長男に生まれる。 平成元年ころより父の和平について木地の技術を学び、平成3年より描彩も始めてこけしを作るようになった。 鳴子の日本こけし館は… 続きを読む

國松美登里

明治3年5月9日秋田県由利郡本庄町中横丁士族國松勘助・ミツノの二男として生まれる。鳴子出身の木地師高橋弥太郎(高橋直蔵の弟子)について木地を学び、こけしも作った。 美登里の妻女は当町裏尾崎町の士族佐藤與吉長女キクで、その… 続きを読む

河村辰治

〔人物〕明治13年9月1日、秋田県由利郡本荘の佐藤與吉・タケの四男に生まる。8歳年長の姉キクの夫である國松美登里より木地を習得した。佐藤家も國松家も本荘二万五千石に仕える士分の家であったが、維新後の失業時代であったため手… 続きを読む

佐藤善七

〔人物〕宮城県本吉郡横山村大徳寺門前(現在の登米市津山町横山)でこけしを作っていた工人。 嘉永5年7月8日佐藤善十郎長男として横山に生まれる。鳴子の木地師より技術を学んだ伊藤仁蔵について木地を習得した。こけしも作り、横山… 続きを読む

小形律子

〔人物〕昭和11年10月29日生まれ。小形通憲の妻女。夫の通憲に従い、平成14年頃よりこけしの製作を始めた。   〔作品〕通憲と同様に、小島長治郎経由の鈴木庸吉様式のこけしを作った。 〔24.0cm(平成14年… 続きを読む

遊佐博志

〔人物〕昭和28年1月8日、宮城県玉造郡鳴子町の岡崎斉吉の六男に生まれる。岡崎仁治は長兄である。昭和40年に古川工業高校を卒業したが、その在学中より父岡崎斉吉について木地を学んだ。遊佐耕三の娘妙子と結婚し、遊佐家の婿とな… 続きを読む

山口収一

〔人物〕大正11年6月21日生まれ。長く教員を務め中学校の校長となったが、昭和51年55歳で停年退職した後、楯岡の東沢公園内の工房でこけし製作をしていた土谷幸作に師事して、こけし製作を習得した。平成元年には山形県こけし工… 続きを読む

松田重雄

〔人物〕昭和7年1月3日、宮城県玉造郡鳴子町の木地業松田初見の二男に生まれた。松田三夫は長兄、すみ子は妹、忠雄は甥にあたる。父初見、兄三夫について木地を学んだが、しばらくして転業した。その後、昭和45年より再び木地を再開… 続きを読む