明治26年9月に生まれた。出身地、両親名は不明。明治39年14歳で飯坂八幡屋の佐藤栄治に弟子入りし、木地の修業を行った。こけしは挽いたが描彩はしなかった。当時挽いたこけしは直胴がほとんどであったという。大正3年に12歳で… 続きを読む
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高梨寅五郎
明治11年11月28日、弥治郎の高梨栄三郎、やのの二男として生まれた。戸籍名を栄十郎、通称寅吾、寅五郎と呼ばれていた。高梨栄五郎は長兄。父栄三郎について木地を習得し、しばらく佐藤栄治の職人をしたので、栄治 の指導も受けた… 続きを読む
国分惣作
明治14年10月21日、宮城県刈田郡福岡村字本154の国分寅吉、とめの長男として生まれた。明治22、3年頃、新山栄五郎が弥治郎で独立して初めて雇用した弟子の一人となった。こけしを製作したかどうかは不明であるが、惣作が弟子… 続きを読む
大野定良
〔人物〕昭和6年4月13日、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉のこけし工人大野栄治、はつの長男として生まれた。父栄治より正式には習っていないが、高等小学校を卒業したころより見取りで木地を試作するようになった。昭和28年6月23… 続きを読む
高橋はじめ
〔人物〕新型のこけし作者。 大正7年に宮城県仙台市生まれた。新型こけしの作者として活躍し、全日本こけしコンクール等で各賞をたびたび受賞、昭和42年全国こけし人形展では内閣総理大臣賞などを受賞している。また平成8年には宮城… 続きを読む
佐藤栄作
明治30年5月9日、佐藤栄四郎の四男として遠刈田に生まれた。周助、雪之助、栄治郎は兄である。従兄にあたる弥治郎の新山栄五郎について木地の修業を行った。〈蔵王東のきぼこ〉によると兄弟子に国分惣作、国分祝、新山栄助等がいた。… 続きを読む
小倉よし
弘化3年8月10日、宮城県刈田郡深谷村佐藤勇治、はつの長女に生まれた。弥治郎の小倉嘉蔵の妻、嘉吉の母、嘉三郎の祖母である。二人挽き時代に綱取りもし、こけしの描彩も担当したが、描彩は当時弥治郎で一番上手とされていた。確認で… 続きを読む
新山吉雄
明治38年6月6日、宮城県弥治郎の新山久治郎、さとの六男に生まれた。福岡村の小学校を卒業後、兄久治について木地を習ったが、間もなく転業した。昭和18年頃、こけし収集家に依頼を受け少数こけしを作ったが、これらは兄福太郎の代… 続きを読む
高岡鉄寿
〔人物〕大正6年5月12日、仙台市土橋通の木地業高岡幸三郎、うめの五男に生まれた。父幸三郎は、杉村多利治の福々商会を引き継いで職人を置いて木地業を営んでいた。鉄寿は中学時代から父について木地を学び、卒業後は父の工場で働い… 続きを読む
佐藤慶春
〔人物〕昭和16年3月3日、宮城県刈田郡福岡村弥治郎の佐藤昇、きくの三男に生まれる。母きくは佐藤今三郎の長女で、志村家から昇を婿に迎えた。佐藤辰雄、慶明は兄である。 昭和31年白石市立福岡中学校を卒業後、13歳年長の兄辰… 続きを読む