川崎巨泉

本名川崎末吉、明治10年6月2日に堺県 (現・堺市神明町御坊ノ前)に、川崎源平の三男として生まれた。父は堺の戸長(こちょう=明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者)をしていた。兄は〈住吉・堺名所并ニ豪商案内… 続きを読む

河村音次郎

〔人物〕 明治38年1月19日河村辰治、リマの二男として秋田県由利郡本荘町裏尾崎町39に生まれる(〈こけし辞典〉に明治37年生まれとあるのは間違い)。旧制本荘中学校卒業後、北海道、樺太などで働き、昭和5、6年頃本荘に戻っ… 続きを読む

河村清太郎

〔人物〕 明治35年9月13日、河村辰治、リマの長男として、秋田県本荘町裏尾崎町39に生まる。弟に音次郎がいる。大正6年、16歳のとき、家業を継ぎ父辰治について木地挽きを習得。こけしはその頃より大正末7、8年頃まで盛んに… 続きを読む

河村辰治

〔人物〕明治13年9月1日、秋田県由利郡本荘の佐藤與吉・タケの四男に生まる。8歳年長の姉キクの夫である國松美登里より木地を習得した。佐藤家も國松家も本荘二万五千石に仕える士分の家であったが、維新後の失業時代であったため手… 続きを読む

河村守

〔人物〕 昭和13年1月22日、秋田県本荘町裏尾崎町、木地業河村清太郎・フエの五男に生まれる。高等学校卒業後、父清太郎について木地を修業。昭和33年頃より、こけしも作り始めたが、ほとんど蒐集家の手には渡っていない。父清太… 続きを読む

河本紫香

関西の趣味人。浪華趣味道楽宗、娯美会、やつで会などのメンバー。 明治16年3月兵庫の菅原長七の四男彦太郎として生まれた。明治31年に先代の河本正次の養子となり、大正9年に家督を継いで養父の名の正次(まさつぐ)を襲名した。… 続きを読む

関西こけし会

橘文策が満州に転勤して解消された木形子研究会のあとに、昭和14年10月から昭和16年9月まで関西で行なわれたこけし会。 昭和14年10月21日、同人米浪庄弌、青山一歩人、岸本彩星、佐野三壷、西田静波、村松百兎庵、梅谷紫翠… 続きを読む

菅野国男

〔人物〕昭和11年12月12日、福島県信夫郡町庭坂字高湯(信夫高湯)の安達屋旅館の10人兄弟の五男に生まれる。戸籍表記國男。土湯の斎藤忠七は叔父に当たる。 安達屋では子供に教育のため福島市内に家を一軒持っていてそこから学… 続きを読む

菅野昭一

〔人物〕昭和10年3月1日、宮城県白石市の鳶職菅野松吉、ミエの長男に生まれる。 白石中学校を卒業後、昭和25年16歳より我妻吉助に師事して木地を修業した。相弟子には六郷満がいた。昭和35年に独立し、こけしの製作を行った。… 続きを読む

菅野武志

明治39年ころ、宮城県白石市福岡村深谷に生まれた。大正7年13歳で山形県及位の佐藤文六の弟子となり、7年間修業した。遠刈田我妻信雄の父庄三郎もこのころ及位の文六のもとにいた。 のちに東京へ出て、転業し左官などをしていたと… 続きを読む