〔人物〕 昭和3年2月20日、宮城県遠刈田温泉の佐藤吉弥の二女に生まれる。姉にせい子、弟に哲郎がいる。昭和37年頃から父吉弥について本格的に描彩の指導を受け、みよ子名義のこけしを出すようになった。昭和40年代までこけし制… 続きを読む
〔人物〕 昭和3年2月20日、宮城県遠刈田温泉の佐藤吉弥の二女に生まれる。姉にせい子、弟に哲郎がいる。昭和37年頃から父吉弥について本格的に描彩の指導を受け、みよ子名義のこけしを出すようになった。昭和40年代までこけし制… 続きを読む
〔人物〕 万延元年11月23日、佐藤友吉次男として宮城県刈田郡宮村(遠刈田新地)に生まれた。明治2年、10歳で佐藤源兵衛の寺子屋で読み書き算盤を習った。明治5年、13歳より家業を手伝い、木取りや手斧を練習、明治8年ころか… 続きを読む
嘉永5年11月20日、佐藤友吉長男として遠刈田新地に生まれた。文久3年、12歳で父友吉につき二人挽ロクロを修業、以後二人挽ロクロで通した。佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると茂七はこけしを多く作ったというが、そ… 続きを読む
山形県最上郡及位に木地工場を経営した人。盛昭本人が木地を挽いたか、あるいは経営にだけ携わった人かはっきりしない。明治35年に盛昭が肘折に行ったときに佐藤文六の仕事を見て、その木地の技術に強く惹かれて文六を自分の工場へ招聘… 続きを読む
明治40年11月4日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の佐藤茂吉五男に生まれた。大正10年ころから兄の佐藤円吉について、木地を修業した。一人前となって及位の佐藤文六の駅前工場に行って働き、その後仙台の兄孝之助の工場で職人をした… 続きを読む
〔人物〕大正15年12月4日、福島市大町の木地業佐藤静助の長男に生まれる。父佐藤静助は遠刈田の佐藤周右衛門の直系曾孫にあたるが、大正14年より福島に出て菅野菊好堂の職人を勤めていた。昭和12年には曾根田町で独立開業したが… 続きを読む
〔人物〕 昭和51年4月26日、宮城県宮城郡宮城町芋沢大竹新田下の木地業、佐藤正廣の二男に生まれる。高等学校の時代からロクロには親しみ、独楽などは既に挽いていた。学校を卒業後、サラリーマン生活に入り、測量会社では約8年間… 続きを読む
〔人物〕昭和35年11月21日、宮城県蔵王町遠刈田の佐藤今朝吉、みねの長男に生まれる。昭和56年より父今朝吉について木地の修業を始めて、昭和60年に自分の作品を発表した。 こけし工人六郷満の二女仁美と結婚して、仁美に木地… 続きを読む
〔人物〕昭和18年9月21日、満州の教員佐藤正男の長男に生まれる。戸籍名は佐藤佑一であるが作品には佑介、佑助と署名することがある。戦後に一家は帰還して北海道に住んだ。昭和53年にこけしの魅力にひかれ、岩手県湯田の小林定雄… 続きを読む