〔人物〕 昭和3年8月9日 農業・木地業兼業の高橋精助・サタの三女として宮城県刈田郡七ケ宿村横川28に生まれる。高橋精志は実兄で、小倉嘉三郎は伯父にあたる。昭和10年6歳の時叔母の養女となって函館に移った。函館大妻女子… 続きを読む
下村作二郎
明治17年4月17日生まれの日本画家、黄平と号した。 秋田県出身で放浪の画家といわれた寺崎広業(慶応2年2月25日―大正8年2月21日)に師事、寺崎は明治31年に東京美術学校助教授、明治34年に教授、日本画主任になり、野… 続きを読む
集古会
集古会は明治29年1月上野韻松亭で開かれた集古懇話会の集まりからスタートし、以来昭和19年まで続いた趣味人同好の会である。 最初は、東京帝国大学の坪井正五郎教授が旗を振り、研究室の若手だった八木奘三郎や林若樹が実務を担当… 続きを読む
趣味のこけし展(神戸)
昭和29年4月に東京で開催されたこけし展に続いて、東京こけし友の会主催で5月1日より6日まで三越百貨店神戸支店で開催されたこけし展。〈こけし友の會だより・8、9号〉に神戸でのこけし展開催の経緯と概要が下記のように報告され… 続きを読む
趣味のこけし展(東京)
昭和29年4月13日から18日まで、東京日本橋の三越百貨店において東京こけし友の会が企画して開催されたこけし展。 下記は〈こけし友の會だより・8・9号〉に載った趣味のこけし展報告「こけし展だより」。 友の会主催の趣味の… 続きを読む
庄司永吉
〔人物〕 明治13年12月3日、山形県最上郡小国村瀬見温泉の鮎獲り漁夫庄司三蔵・ハツの最初の男児としに生まれる。腹違いの兄がいたが小学校登校時に渡し船の事故で溺死、腹違いの姉は吟之助を婿に取り分家した。明治27年15歳で… 続きを読む
庄司惣五郎
安政元年2月27日宮城県宮城郡愛子村の小松東十郎の五男に生まれる。兄に六兵衛、今朝右衛門、養蔵がいた。小松藤右衛門(戸籍名:今朝右衛門)は作並で岩松直助について木地を学んだ。惣五郎は兄の藤右衛門について木地を学んだ。明治… 続きを読む
庄子文治
〔人物〕明治36年生まれ。仙台の佐藤賢治について木地を修業し、やはり賢治の弟子であった加納伝三郎が経営していた工場で働いた。東京こけし会の機関紙〈こけし・8〉(昭和15年7月)に「近々仙台こけし会より頒布される」という山… 続きを読む
白川久蔵
明治25年(推定)宮城県柴田郡前川村(現在の青根)の木地師佐藤久吉、りんの三男に生まれた。父久吉は青根の丹野工場の職人であり、長兄久助、次兄子之助も木地師として知られる。また父久吉の妹ふよは弥治郎の佐藤栄治に嫁いでいたの… 続きを読む
白鳥保子
〔人物〕 昭和36年3月1日に山形市に生まれる。昭和58年3月武蔵大学人文学部を卒業後、山形の伝統産業である織物会社に就職した。昭和60年に結婚。 東京で大学生活を送るうちに故郷の良さを再認識しその中でも木の温もりや… 続きを読む