
〔人物〕大正14年6月2日に生まれた。会津若松の工芸指導所において、技師であった安藤良弘の指導を受け木地業についた。福島県南会津郡下郷町弥五島塔のへつりにてこけしの製作を始めた。家族全員によるこけしの製作である。長女寿万… 続きを読む
〔人物〕大正14年6月2日に生まれた。会津若松の工芸指導所において、技師であった安藤良弘の指導を受け木地業についた。福島県南会津郡下郷町弥五島塔のへつりにてこけしの製作を始めた。家族全員によるこけしの製作である。長女寿万… 続きを読む
明治 42年に集古会の会員の中で、清水晴風、林若樹、久留島武彦、坪井正五郎、西澤仙湖など特に人形玩具を愛好するメンバーによって 結成された集まり。 人形玩具に関する知識の交換を目的とした小さな会で、会合も会員の自邸の持ち… 続きを読む
天保2年9月17日、宮城県刈田郡福岡村大字八宮字弥治郎の農業・木地業佐藤東蔵、きうの長男に生まれた。東吉は東蔵から木地の技術も学んでいたと思われる。東吉が育ったころ弥治郎で米を自分の田で自給できたのは東吉の家と佐藤佐吉の… 続きを読む
本名繁彦、日本橋の生まれで大正10年9月に没した。趣味に生きた人で加山道之助可山とも親しく、土俗玩具の先駆者のひとり。もともとは納札、千社札の蒐集家で、著書に納札関係の文献史〈千社万別〉がある。 斎藤昌三はこけし蒐集の草… 続きを読む
岩手県水沢の失明の木地師及川吉三の弟子で、佐藤七之助は兄弟子にあたる。師の及川吉三は大正4年から、東京本所中川幸八の依頼で、一個4銭で下木地を挽き、東京の三越で20銭で売った。晩年は水沢の小学校教諭石川勇治が絵付けをして… 続きを読む
関西の趣味人たちのネットワークの一翼を担った人。こけし古品を扱った乙三洞(森田政信)は三好と交流があり、三好の死後その家作で開業していたことがあった。 釈瓢斎による三好米吉の似顔絵 釈瓢斎は戦前の大阪朝日新聞「天声人語… 続きを読む
大正から昭和初年ころ大阪市南の繁華街難波の楽天地にあった小美術品店。場所を変えて戦後まで店は継続した。 経営者は森田政信。森田が皆におっさんと呼ばれたことから森田乙三洞と名乗り、店名にも乙三洞を用いた。 森田は明治28年… 続きを読む
〔人物〕昭和3年8月19日、福島県南会津郡桧枝岐村下ノ原の村役場要職 星数三郎、オジョウの長男として生まれる。次男和彦、三男郁文、長女華鶴美、四男譲治と4人の弟妹がいる。千葉市在住の四男譲治以外は桧枝岐村で暮らしている。… 続きを読む
〔人物〕明治8年6月4日生。鳴子の高橋利四郎の妻。〈こけしの追求〉によれば「利四郎には子供がなく、没後約10年間、未亡人ミネが経営者となり、中村雷治が手伝って業を続け、こけしも作った」という。利四郎の没年は大正7年である… 続きを読む
品川新宿の山三駿河屋呉服店主(実際には布団屋に近い業態であったという)。 明治30年代から大正時代にかけてこけしを蒐集、少量高値で趣味人に頒けた。趣味多く、冨士講の世話人(先達)をしたり、千社札を貼り歩いたりもしていた。… 続きを読む