長岡幸吉

〔人物〕 明治38年10月4日山形市小姓町の長岡彦次郎作3男として生まれる。彦次郎の妹きよが小林吉三郎の妻となった縁から、大正7年吉三郎の弟子となった。昭和2年に年期明けし、蔵王高湯の緑屋商店で半年職人をし、その後小姓町… 続きを読む

金子庫三

  岩手県花巻市の郷玩文具店主。地方の博覧会などにイミテーションのこけしなどを発表したので一時こけし作者と誤伝された。そのこけしは花巻の無名の木地師に作らせ、金子庫三名義で出品したものであるが、その木地師が明確… 続きを読む

阿保金光

阿保金光

〔人物〕  昭和27年7月25日、黒石市花巻の大工阿保惣作の二男として生まれる。阿保六知秀は長兄である。 黒石市東英中学時代は生徒会長を務め、こけしクラブの部長をした。中学2年でこけしの顔を描彩した。 中学には5台のロク… 続きを読む

平賀輝幸

〔人物〕  昭和47年3月1日、こけし工人平賀謙一の長男として宮城県作並に生まれる。 昭和62年ころからロクロに向かっていたが、正式な修業は高校卒業した平成2年3月からであり、こけしもこの時期から製作している。… 続きを読む

斎藤八重子

〔人物〕大正11年5月7日、宮城県刈田郡遠刈田温泉の木地業佐藤吉弥の長女としてに生まれた。戸籍表記はやい子、こけしにはハ重子と署名した。学校を卒業してから会津若松で働いたが、その地で昭和26年に斎藤良輔と結婚し、夫婦で遠… 続きを読む

佐藤久弥

〔人物〕   昭和10年11月16日、福島市に生まる。佐藤佐志馬・ヨシクの婿養子。名前の読みを「ひさや」とした文献もあるが「きゅうや」が正しい。昭和29年3月福島県立福島工業高校卒業後、福島貸切自動車会社に勤務し、事務の… 続きを読む

須賀恒一

〔人物〕大正8年9月28日、青根温泉の商業須賀恒雄、いさおの長男に生まれる。母のいさおは青根のこけし作者佐藤貢の姉にあたる。昭和8年高等小学校を卒業後、青根で土産物店の経営に就いた。 昭和17年に入隊、戦後昭和20年に帰… 続きを読む

佐藤子之助

〔人物〕明治24年ころ宮城県柴田郡前川村(青根)の木地師佐藤久吉・りんの次男に生まれた。長兄は久助、弟に久蔵がいる。父久吉について木地を修業、こけしも作ったといわれる。明治45年ころ秋保へ行って佐藤三蔵の職人となった。子… 続きを読む

木地屋文書

木地屋の祖が、文徳天皇第一皇子の惟喬親王であるとする伝説がある。その伝説をふまえて、木地屋の特権を保証する天皇の綸旨、大名からの免許状、また諸国への移動を可能にする往来手形、宗門手形等の文書類を木地屋文書という。  惟喬… 続きを読む

松田清次郎

明治3年2月22日、岩手県南岩手郡東中野村穀町(現在盛岡市内)の松田和助、ヒサの長男に生まれた。松田家は代々常陸屋と号し、初代は仁兵衛(天保15年没)、二代和七(安政4年没)、三代が父和助で、和助は呉服の行商などをやって… 続きを読む