〔人物〕 昭和9年5月14日、県の土木技師 小石沢寅義・ヒデヲの次男として福島県信夫郡渡利に生まれる。昭和26年3月吾妻中学校を卒業。本多信夫が経営していた泉屋物産店で菓子の製造を手伝った。このころ岩本芳蔵の弟子であった… 続きを読む
小関栄
明治40年5月6日、土産物商小関栄吉の長男として尾花沢市銀山で生まれた。 大正11年12月と、大正13年12月の二回、銀山で安藤齢太郎を講師として木地講習会が開かれた記録がある。会場は第一回が鶴利平宅、第二回が伊豆定雄宅… 続きを読む
佐藤文六(秋保)
〔人物〕明治32年7月26日、宮城県名取郡秋保村行沢湯元(長袋)で生まる。小学校卒業後秋保村立職工学校に入学し、講師の遊佐幸太郎、佐藤治平について木地挽きの技術を習得した。3年間で卒業後、福島県の柳津へ行き日光木地師赤ン… 続きを読む
かせ
漢字表記は「綛」。本来の意味は、紡いだ糸を取り扱いに便利なよう、一定の大きさの枠に一定量巻いて束にしたもの。その束を一綛、二綛と数えた。綿糸の場合、一綛は約768メートル。 こけしで「かせ」という場合は、土湯系のこけしの… 続きを読む
星としえ
〔人物〕昭和32年12月16日、公務員首藤正男、盛子の二女として宮城県登米郡東東和町米川に生まれた。高校卒業後、三重県四日市市富田の東洋紡績に就職、働きながら四日市の暁学園短期大学第二部幼児教育学科に学び、昭和52年3月… 続きを読む
秋山忠三郎
〔人物〕大正7年鳴子の秋山忠、やよ江の三男に生まれた。秋山忠市は長兄。昭和7年に鳴子尋常高等小学校を卒業後、トタン屋の職を2年ほど勤めた。昭和16年22歳頃より父忠について木地の技術を習得した。昭和18年川崎の日本鋼管株… 続きを読む
佐藤誠孝
〔人物〕昭和22年2月22日、佐藤誠、秀子の九人兄弟の末子として会津若松で生まれた。長兄孝は結核のため若くして亡くなった。小説家となった光良は兄で、姉も多い。 父佐藤誠は戦前福島県平市で大きな木工所を経営し、幅広い活動を… 続きを読む
村井福太郎
〔人物〕 明治15年3月15日、青森県南津軽郡蔵館村の木地業村井伊三郎の二男に生まれる。代々萬太郎を家名とし、祖父の萬太郎(慶応3年没、48歳)の後、父伊三郎も萬太郎を襲名した。村井家は蔵館の古い居木地師の家だといわれて… 続きを読む
大場政彦
〔人物〕昭和15年10月3日、宮城県鬼首上蟹沢の農業大場勇蔵の次男に生まれる。昭和31年7月1日に鳴子温泉の高亀に入門し、高橋武男、正吾兄弟に木地を習う。須貝国男は兄弟子、横山悠久雄 は弟弟子。昭和35年頃より、こけしの… 続きを読む
酒井正進
〔人物〕明治32年2月1日、福島県耶麻郡蚕養字沼尻の酒井竹治、ナツの二男に生まれる。戦前に中ノ沢温泉の湯桶監視役をやっていたが、その後土産物店を経営し、さらにさかい百貨店という雑貸店を開いた。昭和8年12月より、岩本芳蔵… 続きを読む