小林信行

〔人物〕昭和12年11月30日、岩手県和賀郡湯田の小林善作の二男に生まれる。昭三は弟。 昭和40年代の初め頃、小林善作の子供たちは、大学を卒業して就職し、湯田から離れていたが、正月や盆の季節には湯田に戻りこけしの描彩など… 続きを読む

佐々木与始郎

〔人物〕 明治19年5月9日、岩手県稗貫郡湯口村(志戸平)38番地の木地業佐々木角次郎、リンの長男に生まれる。祖父は佐々木与市、叔父に要吉がいた。 「佐々木家は代々花巻城の家老職を務めていたが、南部利直候(1576~16… 続きを読む

松田正一

〔人物〕大正元年9月27日、岩手県盛岡市の木地業松田徳太郎、センの長男に生まれた。父の徳太郎は松田清次郎の弟であったが、清次郎が若くして亡くなったので父の弟子であった花巻の煤孫茂吉について木地を修得した。正一は清次郎の長… 続きを読む

鎌先商い

弥治郎の木地屋の女房は製品を風呂敷に入れて背負い、鎌先の旅館で部屋を廻って湯治客に直接売っていた。これを鎌先商いという。 菅野新一は、鎌先商いの様子を次のように記述している。 「弥治郎の女房の仕事というと、なんといっても… 続きを読む

加納伝三郎

〔人物〕明治31年5月3日、宮城県仙台市の士族 加納伝之丞、とくの長男に生まれた。父伝之丞は仙台市北五番丁115に居を構え、工業学校で技術を教えていた。伝次郎、伝之助、正ハの弟と、花子、きく、きみ子の妹がいた。大正15年… 続きを読む

村元文雄

〔人物〕 昭和6年6月12日、南津軽郡六郷村(昭和29年の合併で黒石市となる)の農業村元利之助の次男に生まれる。尋常小学校高等科卒業後、農業を手伝いその後製材所に勤務する。昭和31年に肋膜炎に掛かり温湯温泉に湯治に訪れた… 続きを読む

押切忠輔

生年没年は不明。山形県北村山郡市野々(現在の尾花沢市市野々)の生まれ。明治30年代に鳴子の高橋勘治の弟子となり、約3年ほど修業し働いた。こけしの製作も行った。兄弟子に菊地英次郎、菊地三九郎兄弟がいて、菊池兄弟が挽く時には… 続きを読む

高橋勘七

深沢要著〈こけしの追求〉に鳴子高野幸八の弟子として紹介された。伊藤松三郎談によると「山形方面の人で明治37、8年ころ高野幸八の弟子になったが、わずかの期間でやめた」という。こけし作者であったかどうかは不明である。

山尾武治

〔人物〕 明治34年6月30日、水戸屋旅館山尾今朝三郎五男として秋保町湯元字薬師に生まる。大正5年より佐藤三蔵に弟子入りして同7年まで木地挽きを修業した。師三蔵はこの頃すでにこけしは全然作らなかったため、兄弟子菅原庄七の… 続きを読む

中鉢新吾

〔人物〕  大正12年1月16日宮城県玉造郡鳴子町焼石亦(中山平)の農業中鉢久七・たきの三男に生まれる。母たきは大沼岩蔵・イナの一人娘(戸籍上は岩蔵の父大沼甚三郎の五女)、また新吾を晋吾で紹介した文献もあるが、新吾(戸籍… 続きを読む