〔人物〕 昭和4年12月25日、仙台市の木地業佐藤幸治、定代の長男に生まれる。木地業佐藤賢治の孫にあたる。佐藤信三は弟。昭和19年五ツ橋尋常高等小学校卒業、東京の日立亀有工場に勤務、青年学校に通った。昭和20年9月仙台… 続きを読む
団子梅
秋田県木地山で前垂れ模様に描かれるのは、家紋などで横見梅と呼ばれる紋様であり、小椋久四郎がこの様式を用いたこけしを作り始めた。 久四郎の長男久太郎は、父の様式を踏襲、初期には父同様の横見梅を描いていたが、昭和12年頃から… 続きを読む
岡崎武
〔人物〕昭和11年10月28日、岡崎丑松の二男として台湾に生まれる。昭和21年に日本に戻ったが、翌22年に両親を亡くした。昭和29年に身体を壊したが昭和37年27歳のころから遠刈田の木工所で働くようになった。主にテーブル… 続きを読む
沢ロ吾左衛門文書
明治21年4月、鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門は、宮城県知事に鳴子の各種職工、生産額および販路に関する報告書を提出した。その控えとして手元に残していたものが西田峯吉によって〈鳴子・こけし・工人〉に掲載紹介された。その控え… 続きを読む
小野寺梅太郎
明治2年11月1日、秋田県雄勝郡大舘村の小野寺徳治、フンの長男に生まれる。弟に栄治郎、虎之助、為四郎などがいた。代々新太郎を名乗った塗師の家系である。明治24年木地山の小椋徳右衛門長女カネと結婚した。梅太郎自身は家業の塗… 続きを読む
竹石秀徳
〔人物〕 昭和13年2月6日福島市の公務員竹石寅吉の長男として生まれる。佐久間粂松のこけしに憧れていたため、平成10年勤めを退職した後、61歳より土湯の渡辺恒彦について木地を修業した。川俣に粂松の孫伝六を訪ね、粂松型の継… 続きを読む
坪井正五郎
東京において、明治から大正にかけて古物、故実、風俗、玩具の蒐集、調査、鑑賞に関わる活動を組織化した人物。「竹馬会」「集古会」「大供会」「流行会」など人形、玩具に関わるかかわる多様な活動に関わった。交際が広く、これらの重層… 続きを読む
高梨小藤治
明治38年4月24日、宮城県刈田郡八宮村7番地の木地業高梨栄五郎、かめの二男に生まれた。母かめは同村熱海與平治の二女である。栄五郎には先妻とりとの間に長男永がいたが、13歳の時に村にやって来た祭文語りに憧れて出奔し、木地… 続きを読む
煤孫実太郎
〔人物〕 明治41年10月9日、岩手県稗貫郡花巻町の木地業煤孫茂吉・タケの長男に生まれる。戸籍表記は實太郎。大正12年15才で花巻高等小学校を卒業、その年の9月頃より父茂吉に就いて足踏みロクロで木地の修業を開始した。昭… 続きを読む
佐藤実
〔人物〕昭和7年12月27日、鳴子のこけし工人桜井万之丞、コウの二男に生まれる。昭和20年3月鳴子尋常小学校を卒業し、父万之丞について木地の修業を開始した。昭和22年頃より、こけしの製作も行うようになったが、実名義のこけ… 続きを読む