伊藤保夫

〔人物〕生年月日不詳。宮城県鳴子で生まれ、昭和35年より高勘の高橋盛雄について木地を学んだ。その後、高勘の職人として木地を挽き、伊藤保夫名義のこけしも発表したが、昭和39年頃に小田原に転出した。〈こけし辞典〉で工人項目と… 続きを読む

菊地孝太郎

〔人物〕明治28年1月29日、山形県に生まる。大宮儀七、ユキの子。6歳のとき青根の木地業菊地茂平、きよの養子となった。義父の茂平は中年になってから青根の佐藤久吉の弟子となり、茶筒、盆などを挽いた工人であった。 明治40年… 続きを読む

桜井尚道

〔人物〕 昭和63年7月7日、宮城県大崎市鳴子温泉のこけし工人桜井昭寛の長男に生まれる。桜井昭二は祖父。高専卒業後、東京で建築関係の仕事に従事。平成26年鳴子に戻る。平成27年4月頃より、父の昭寛について木地の練習を始め… 続きを読む

長蔵文書

こけしに関する記載が文書上に現れたものとしては万延元年(1860)の「萬挽物扣帳」(岩松直助文))があり、そこには「小人形、相人形、中人形、大人形、大々人形」としてこけしの寸法が記載されている。 こけしに相当する”名称”… 続きを読む

佐藤文吉(遠刈田)

天保10年3月5日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤円吉二男に生まれた。修業は二人挽で父円吉より習ったと思われる。茂吉家の祖佐藤千代吉の養子となり、久吉家からきたとらと結婚した。その関係で明治6年より同9年まで久吉を弟子とし… 続きを読む

小田宗太郎

生年月日出身地等不明。昭和12年東京こけし會発行の〈こけし作者一覧番付〉や、昭和13年刊行の〈東北の玩具〉によると宮城県柴田郡青根の作者として、佐藤菊治、菊地孝太郎、横山拙太郎、佐藤勝雄と並んで小田宗太郎の名がある。しか… 続きを読む

今野かしく

〔人物〕昭和6年10月2日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の木地業佐藤好秋、しづえの長女として生 まれた。昭和23年3月遠刈田中学校卒業、同25年に父の好秋についてこけしの描彩を習った。 昭和33年好秋の弟子であった今野幹夫… 続きを読む

小椋泰一郎

〔人物〕明治22年4月20日、秋田県雄勝郡高松村120(水上沢木地山)小椋養治、カヤの長男に生まれる。父養治は小椋勇右衛門の長男で、代々初右衛門を名乗った。カヤは小椋利左衛門(吉左衛門の長男)の長女であり、カヤの母ナツは… 続きを読む

新山勝洋

〔人物〕昭和17年3月30日、宮城県弥治郎出身の新山定雄、スイの次男に生まれた。父の定雄は弥治郎の新山久治郎の4男にあたる。新山久治、福太郎、左内は勝洋の伯父である。 従来の文献では名前を「勝祥」として紹介されたことが多… 続きを読む

阿部常松

〔人物〕明治元年1月11日(戸籍による)、福島信夫郡土湯村下ノ町の阿部吉弥の四男に生まれる。長兄の阿部熊治郎に木地を習い、二人挽きを習得した。弟の五男末松も木地を学び、福島の小幡文助の養子となった。常松は寅治郎(でぶ寅)… 続きを読む