
〔人物〕 昭和 4年11月11日、遠刈田新地の木地業佐藤護長男として遠刈田新地に生まれる。昭和20年遠刈田国民学校を卒業、終戦とともに父護につき木地修業をし、新型こけしの木地を挽く傍ら伝統こけしを作り始めた。この頃、伊藤… 続きを読む
〔人物〕 昭和 4年11月11日、遠刈田新地の木地業佐藤護長男として遠刈田新地に生まれる。昭和20年遠刈田国民学校を卒業、終戦とともに父護につき木地修業をし、新型こけしの木地を挽く傍ら伝統こけしを作り始めた。この頃、伊藤… 続きを読む
〔人物〕 昭和12年4月1日、鳴子の農業伊東英雄・みさおの子として生まれる。小学校、中学校の先輩で親しかった高橋力雄が鳴子の高亀で働いていたのが縁で、昭和29年1月1日、18歳で鳴子高亀の高橋武男に弟子入りし、木地の修… 続きを読む
〔人物〕 昭和2年11月23日、山形県蔵王高湯の斎藤松助の長男に生まれる。旧制芝浦工業学校機械科を卒業後、少年飛行兵として従軍、昭和20年復員した。その後、父松助の経営する旅館招仙閣を手伝った。昭和41年ころから父松助が… 続きを読む
〔人物〕昭和18年5月10日神奈川県横浜市に生れた 。昭和38年夏、東京工業大学在学中から4年間、木地山に通い詰め、久太郎には大変可愛がられた。 滞在中こけしの描彩なども行うようになった。散歩は平成11、12年ころに木地… 続きを読む
〔人物〕弥治郎系の作者佐藤誠の平時代の弟子。生年月日等詳細は不明。昭和10年代に平の佐藤誠の木工所で職人として働いた。こけしも作り、極少数作品も残されている。その後の経歴も不明である。 製作年代は極短い期間で… 続きを読む
弘化3年8月10日、宮城県刈田郡深谷村佐藤勇治、はつの長女に生まれた。弥治郎の小倉嘉蔵の妻、嘉吉の母、嘉三郎の祖母である。二人挽き時代に綱取りもし、こけしの描彩も担当したが、描彩は当時弥治郎で一番上手とされていた。確認で… 続きを読む
〔人物〕 大正10年7月25日、大工・狩野安右ヱ門(父)の次男として生まれる。 昭和19年に平賀貞蔵の長女君子と結婚し、義父貞蔵について木地の実習をしたことがある。長く国鉄職員を務めたが、昭和52… 続きを読む
〔人物〕 明治2年11月1日、福島県土湯温泉の東屋旅館の斎藤幸吉・ときの二男に生まれる。 父の旅館は兄の孝之介が継いだので、太治郎は学校卒業後、手に職を就けるべく明治19年より22年まで西山辨之助について木地修業をした。… 続きを読む
〔人物〕 大正15年12月15日、山形県村山市楯岡の畳製造業土谷周蔵の長男に生まれる。終戦後海軍より復員後、仕事がなく、土工など種々の仕事を行なっていたが、やがて村山市楯岡の県指定授産木工所に勤めることになった。昭和23… 続きを読む
〔人物〕明治34年1月12月、岩手県和賀郡笹間村(現花巻市)中笹間の仏画師高橋庄吉の五男として生まれた。22歳のとき北海道へ渡ったが、脚気を患ったため24歳で帰郷した。花巻で傘口クロ(和傘の部品)の目立て職人をしていた兄… 続きを読む