小浜子守地蔵尊

福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつ… 続きを読む

佐藤留治

〔人物〕 明治4年秋田県小安温泉に生まれる。雄勝郡の水上沢より明治31年に川連大館におりてきた木地師小椋養治(小椋泰一郎の父)は、時々山仕事で小安の奥に入り、小屋をかけて椀木地を挽いていた。 留治はそうした折に養治につい… 続きを読む

神尾敬三朗

〔人物〕 昭和10年11月27日、山形県天童市久野本の木地業神尾長八長男に生まれる。山形の小林倉治に木地を学んだ神尾長三郎は祖父である。昭和23年より父長八について木地の修業を始めた。そのころ神尾長八は天童久野本の工場で… 続きを読む

五十嵐嘉行

〔人物〕  昭和2年6月1日、鶴岡市本町二丁目の石材業、五十嵐嘉吉の長男として生まれる。昭和27年鶴岡市内の木地師伊藤佐太郎より木地挽きを習い、茶道具等の木地玩具を丸金商店をはじめ地元の民芸店で売り出す。昭和5… 続きを読む

小野寺重一

〔人物〕明治41年11月25日、秋田県雄勝郡大館の小野寺忠次郎の長男に生まれた。元来塗り物の下木地を挽いていたが、小椋啓太郎に依頼されて、戦前より啓太郎のこけしの描彩を行っていた。戦後は啓太郎のこけしの描彩は小野寺岩蔵が… 続きを読む

小椋養治

安政3年8月15日、小椋勇右衛門の長男として、皆瀬木地山に生まる。養治の家は初右衛門本家で養治も後に初右衛門と呼ばれた。妻は勇右衛門の兄利左衛門娘カヤである。長男が泰一郎で、長女ヨシは佐藤留治に嫁し、佐藤兼一を生んだ。 … 続きを読む

大竹地蔵尊

福島市荒井字寺屋敷にある白山寺は、「大竹子育地蔵尊」として知られる。ここに収められている多数の木彫りの地蔵尊は、形態がこけしに通じるものがあり、こけしの前駆的な存在であろうという人もいる。ただし、こけしとの関連を示す確実… 続きを読む

西山英子

〔人物〕昭和27年5月21日、福島県土湯温泉のこけし工人西山憲一の娘に生まれる。家業がこけし作りであったため、こけしの描彩には興味を持っていたが、昭和57年より父憲一の木地に正式に描彩し、作品を発表するようになった。福島… 続きを読む

秋山忠三郎

〔人物〕大正7年鳴子の秋山忠、やよ江の三男に生まれた。秋山忠市は長兄。昭和7年に鳴子尋常高等小学校を卒業後、トタン屋の職を2年ほど勤めた。昭和16年22歳頃より父忠について木地の技術を習得した。昭和18年川崎の日本鋼管株… 続きを読む