① 遠刈田新地の工人用語。こけしの頭頂部の前髪の後方、赤い放射状のてがらの中心部に描かれる青い点状の部分をいう。橘文策氏が紹介した佐藤松之進の〈木地人形記〉に、こけし描彩の年代的変遷が示されている〈こけし手帖・37〉〈こ… 続きを読む
佐久間米吉
〔人物〕明治19年12月12日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町28の湊屋佐久間浅之助、ノエの六男として生まれる。長兄は由吉、以下粂松、常松、源六、七郎と続く兄が居て、弟に虎吉がいた。 明治35年、17歳から父浅之助について木… 続きを読む
佐藤源吉
佐藤里見
〔人物〕 昭和3年8月11日、木地師佐藤豊治六男として宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉に生まれた。佐藤照雄、佐藤三蔵は兄にあたる。生家は遠刈田新地に向かう橋の手前左側の寿町で、通称六軒長屋とよばれ、隣家には小笠原義雄の一家が… 続きを読む
星定良
〔人物〕昭和31年1月8日、岩手県宮古市白浜の木地業星博の次男に生まれる。父の博は山木地に近い仕事に従事していたので、兄の博秋について木地を学んだ。博秋は独学で木地を学んだが、宮城県に移り、小原の本田亀寿の指導を受けてい… 続きを読む
佐藤三蔵(秋保)
〔人物〕明治12年5月10日、仙台市生出村坪沼の郡山佐平の次男に生まれた。明治21年10歳の時、秋保村湯元字薬師の農業佐藤卯平治の養子となった。明治28年17歳のとき太田庄吉(秋保出身)に弟子入りした。〈こけしの追求)に… 続きを読む
丹野倉治
青根の商店主であり、また木地工場を経営した人物。 明治15年ころから遠刈田新地や箱根から木地製品を仕入れ、これを青根温泉の浴客に商っていた。職人を雇い自らの工場で浴客からの需要が高かった木地製品を生産することを思いたち、… 続きを読む
小椋勝雄
〔人物〕明治42年8月13日、秋田県雄勝郡稲川村大館の木地師小椋米吉、ツメヨの長男に生まれた。小椋俊雄は次弟である。大正4年12月に一家は北海道枝幸郡原野に移住し、さらに大正7年北海道上川郡神楽村神楽町本通(旭川)に移っ… 続きを読む
大沼美和子
〔人物〕昭和19年2月22日生まれ。宮城県鳴子町上鳴子のこけし工人大沼健伍に嫁し、昭和39年に長男正人を生んだ。家業を助ける中で、昭和50年頃より夫健伍や舅の健三郎に描彩を習うようになり、美和子名義のこけしを作るようにな… 続きを読む
佐藤重右衛門
青根の土産物店主。青根、遠刈田のこけしを販売したので作者と誤伝されたことがある。重右衛門の父重太郎は遠刈田新地佐藤周右衛門の弟で、青根の先代重右衛門の長子ゆのと結婚して、婿に入った。重太郎、ゆのの長子が重右衛門を名乗った… 続きを読む