青根

青根は、宮城県柴田郡川崎町(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)、蔵王東麓不忘山の中腹にある標高730mの温泉(硫酸塩泉)。「天文の頃(1532-1555)、前川村の百姓四名が青木の皮で蓑を作らんとして大いなる青木の側に立ち寄… 続きを読む

浜津千代子

〔人物〕昭和7年10月17日、栃木県の商業田村長吉の四女に生まれた。白石の八代鉄園の義妹である。昭和31年こけし工人浜津平三郎と結婚、その後夫の平三郎の木地に描彩を行うようになった。 昭和45年より義兄八代鉄園のこけしの… 続きを読む

高橋定助

〔人物〕明治6年11日26日、宮城県桃生郡野蒜村(松島の北)の土木監督局工夫 手代木新吉、いをの子に生まれた。いをは鳴子の木地師横谷善作の三女である。 3歳のとき伯父横谷善治(善作長男)の養子となったが、8、9歳のとき養… 続きを読む

大沼甚四郎

〔人物〕 明治15年9月20日、鳴子町上鳴子に生まる。木地業大沼甚三郎、わきの二男。岩蔵は兄、甚五郎、万之丞、健三郎は弟である。小学校卒業後岩蔵について木地修業、父甚三郎を助けて木地業に従事したが、徴兵検査を受け明治35… 続きを読む

こけし応用品

こけし応用品は、こけしの形態を応用して製作された品で、こけし蒐集時代の初期から今日まで種々の目的を持って各種作られてきた。 昭和22年12月、川口貫一郎は、「こけし応用雑器の栞」を上梓して、75種のこけし応用品を紹介した… 続きを読む

岡崎直志

〔人物〕 明治44年7月1日、山形県西村山郡西川町の宿坊経営叶直家・雅代の次男に生まれる。叶家は出羽三山の参詣客の宿坊を営んでいた。大正15年高等小学校卒業後食料品卸商に勤めたが、昭和7年に入隊兵役、10年に除隊した。昭… 続きを読む

子野日幸助

〔人物〕大正7年1月27日、秋田県横手に生まる。元来、食料品業についていたが年齢に達し入隊した。兵役後、昭和17年10月より秋田の工芸指導所に入り、指導官であった高橋盛より木地を習得した。本荘の佐々木末治、皆川元一、象潟… 続きを読む

間宮正男

〔人物〕大正10年3月10日、青森県大鰐の木地師間宮明太郎の長男に生まれる。昭和10年高等小学校卒業後、父の明太郎について木地の修業を行った。木地玩具のズグリ、じょうば槌、柄杓、こけしなどを挽いた。昭和16年頃からは軍需… 続きを読む

下村作二郎

明治17年4月17日生まれの日本画家、黄平と号した。 秋田県出身で放浪の画家といわれた寺崎広業(慶応2年2月25日―大正8年2月21日)に師事、寺崎は明治31年に東京美術学校助教授、明治34年に教授、日本画主任になり、野… 続きを読む