
明治17年頃、宮城県柴田郡沼辺村の村上泰治三男として生まれる。明治30年佐藤吉郎平に弟子入りし、同36年に年季明けとなった。明治41年に遠刈田の佐藤茂吉長女とりと結婚、一時肘折の尾形木工所で職人をしていたが、やがて自宅に… 続きを読む
明治17年頃、宮城県柴田郡沼辺村の村上泰治三男として生まれる。明治30年佐藤吉郎平に弟子入りし、同36年に年季明けとなった。明治41年に遠刈田の佐藤茂吉長女とりと結婚、一時肘折の尾形木工所で職人をしていたが、やがて自宅に… 続きを読む
〔人物〕 昭和23年6月6日、遠刈田新地佐藤照雄の長男として生まれる。昭和38年3月遠刈田中学校卒業後、照雄につき木地修業、昭和39年よりこけしを作り始めた。妻女すみえとの間に一男二女をもうけた。 昭和の末に「遠刈田若手… 続きを読む
明治10年6月24日、山形県最上郡南山村肘折に生まれた。八鍬安蔵(五代目林蔵)の長男。明治26年5月12日に父安蔵が44歳で没したが、当時亀蔵はまだ17歳だったので、祖父の鶴蔵(四代目林蔵)が六代目林蔵を再継、明治29… 続きを読む
〔人物〕昭和7年2月15日、宮城県遠田郡小牛田町北浦の農業千葉悟、八重子の長女に生まれた。昭和26年古川女子高校卒業。昭和27年11月鳴子新屋敷の岡崎斉吉の長男仁治と結婚、昭和29年1月長男靖男が生まれた。昭和39年10… 続きを読む
〔人物〕昭和28年1月8日、宮城県玉造郡鳴子町の岡崎斉吉の六男に生まれる。岡崎仁治は長兄である。昭和40年に古川工業高校を卒業したが、その在学中より父岡崎斉吉について木地を学んだ。遊佐耕三の娘妙子と結婚し、遊佐家の婿とな… 続きを読む
秋田県に異動して来て木地山を形成した初右衛門一族は代々初右衛門を名乗る者が多い。久米之丞初右衛門は飛騨より会津立岩郷木賊山に移り、文化5年頃仙台側より羽後大川目山に渡り、加美郡中新田から来た小椋吉左衛門の一族と合流した。… 続きを読む
秋田県稲川町大館の蒔絵師。腕はよく大館では町一番の蒔絵師と言われた。 大館の小椋正治のこけしのうち特製上手物の描彩は菊一が行っていたという。〈鴻・6〉によると昭和14,5年ころ、描き賃は一般に3銭くらいであったが、菊一の… 続きを読む
〔人物〕山形県鶴岡市七日町の玩具作者。明治15年に千安京田の村長大滝五右ェ門の家に生まれる。一時東京の大きな農園の仕事を手伝っていたが、大正初期に鶴岡に戻り、上京中に覚えた装飾の技術を生かして当時盛んに開催された物産会の… 続きを読む
明治31年11月30日、農業佐々木染治長男として銀山温泉に生まれた。大正11年12月と大正13年12月に、区長だった藤屋旅館主人藤要吉の努力で、安藤齢太郎を木地講師とする山形県木地講習会が、林八旅館や、伊豆定雄の家でそれ… 続きを読む
宮城県柴田郡川崎村川崎の出身。明治7年頃の生まれ。青根の菊地きよし戸籍名きよは姉にあたり、きよしの婿が茂平(安政松年頃の生まれ)である。きよし、茂平夫婦の養子に山形出身できよしの甥にあたる孝太郎が入った。勝三郎は明治19… 続きを読む