
明治末あるいは大正初期からこけしを本格的に集め、産地訪問やこけしの頒布会までを行った最初の人。 明治20年5月6日、京都の明石博高の三男に生まれた。本名は国助。 明治42年7月、京都高等工芸学校染色科卒業、翌43年11月… 続きを読む
明治末あるいは大正初期からこけしを本格的に集め、産地訪問やこけしの頒布会までを行った最初の人。 明治20年5月6日、京都の明石博高の三男に生まれた。本名は国助。 明治42年7月、京都高等工芸学校染色科卒業、翌43年11月… 続きを読む
〔人物〕 大正5年5月8日福島県信夫郡土湯の農業西山源助、アキの二男に生まれる。七男四女の兄弟姉妹がいた。後にこけしも作った西山敬三は次弟三男である。14歳で荒井村の尋常高等小学校を卒業後、実家の農業を手伝い、また炭焼… 続きを読む
〔人物〕昭和2年9月29日、石川県輪島に生まれた。職業軍人となり、戦後盛岡に移って父小椋亀重について木地を習得した。その後、盛岡市城西町12番22号にて新型こけしを主に木地業を営んでいた。 〔作品〕旧型こけしは昭和37、… 続きを読む
〔人物〕 明治42年2月3日宮城県刈田郡福岡村大字八宮字弥治郎の木地業佐藤伝内・てうの三男として生まれる。戸籍表記は「傳喜」。大正12年福岡村尋常小学校を卒業後、木地の修業を始めたが、父伝内は家を離れて放浪をすること多く… 続きを読む
〔人物〕 明治27年8月17日、宮城県古川市中新田の酒屋伊藤権三郎、はつの二男に生まれる。明治29年3歳で父権三郎と死別後、鳴子高橋金太郎に引きとられて成長した。 木地は高等小学校在学中の11歳より金太郎の長男万五郎につ… 続きを読む
〔人物〕 昭和2年1月1日、鳴子の木地業桜井万之丞、コウの長男に生まれる。桜井(佐藤)実は弟。戦前の学校時代、14、5歳よりこけしの描き方は母コウに習って行った。〈鴻〉によって昭二の存在は既に紹介されていた。昭和20年3… 続きを読む
山形の木地職人。生年月日等不明。田中信也は弟にあたる。吉田慶二の〈聞書き・木地屋の生活〉によれば、小林吉太郎の小橋町時代(明治43年から大正6年)に兄弟ともに職人だったという。 その後大井沢に椀類を挽きに行ったことがある… 続きを読む
こけし蒐集家の深沢要が、昭和9年より昭和21年にかけて収集したこけしのコレクション。深沢要の没後、欣未亡人の手により昭和28年11月鳴子町へ寄贈された。 寄贈され鳴子に着いた深沢コレクション(昭和28年) 出迎えた工人た… 続きを読む
〔人物〕福島県耶麻郡西会津町野沢の「野沢こけし」の作者。野沢こけしは民芸品製造業井上義治が考案した創作こけしであるが、井上義治には江川実という弟子がいた。のよ(昭和7年11月1日生ー平成21年8月没、78歳)は江川実の妻… 続きを読む