
秋田県に異動して来て木地山を形成した初右衛門一族は代々初右衛門を名乗る者が多い。久米之丞初右衛門は飛騨より会津立岩郷木賊山に移り、文化5年頃仙台側より羽後大川目山に渡り、加美郡中新田から来た小椋吉左衛門の一族と合流した。… 続きを読む
秋田県に異動して来て木地山を形成した初右衛門一族は代々初右衛門を名乗る者が多い。久米之丞初右衛門は飛騨より会津立岩郷木賊山に移り、文化5年頃仙台側より羽後大川目山に渡り、加美郡中新田から来た小椋吉左衛門の一族と合流した。… 続きを読む
〔人物〕 明治25年6月28日、秋田県皆瀬木地山の小椋庄太郎・リンの二男に生まれる。父庄太郎(慶応元年1月16日生)は小椋徳右衛門の二男で、カネ、久四郎、石蔵の兄にあたる。庄太郎は、一時稲庭村に養子に出たが明治23年に木… 続きを読む
〔人物〕大正7年鳴子の秋山忠、やよ江の三男に生まれた。秋山忠市は長兄。昭和7年に鳴子尋常高等小学校を卒業後、トタン屋の職を2年ほど勤めた。昭和16年22歳頃より父忠について木地の技術を習得した。昭和18年川崎の日本鋼管株… 続きを読む
〔人物〕 明治38年7月8日宮城県七ヶ宿町滑津に生まれた。日下家はもともと山形の出であると言うが父の代に滑津に移り、同地で製材業を営んでいた。〈こけし辞典〉の日下源三郎の項目には、源三郎は「明治16年ころ宮城県刈田郡七ヶ… 続きを読む
文政5年、奥州信夫郡土湯村の木地業稲荷屋佐久間亀五郎、キジの長男に生まれた。西屋の養子に入った西山濱吉(二男)は弟である。幼少時より父につき木地修業。父創案のでこに工夫し、首の回る弥七でこを作った。15歳で父に死別し、母… 続きを読む
明治38年6月6日、宮城県弥治郎の新山久治郎、さとの六男に生まれた。福岡村の小学校を卒業後、兄久治について木地を習ったが、間もなく転業した。昭和18年頃、こけし収集家に依頼を受け少数こけしを作ったが、これらは兄福太郎の代… 続きを読む
〔人物〕 昭和25年1月19日仙台市の我妻吉助の長男に生まれる。昭和42年に仙台商業高校を卒業後、日立製作所に入社して仙台支社に3年、東京本社に1年勤務した。その後退社し、昭和47年1月に実家に戻って父吉助について木地の… 続きを読む
〔人物〕 明治29年7月8日、名古屋市中区西洲崎町の能楽器商塗師藤七(本名鈴木清次)の長男に生まれた。本名は磯吉。先祖は尾張藩に仕える武士で、江戸時代末期、祖父の鈴木右膳重敬が始めた鼓作りを継承し、「ぬし藤」の三代目とな… 続きを読む
〔人物〕大正10年1月1日、神奈川県横浜市藤棚の魚屋鮨屋酒井平次郎、きくえの次男に生まれる。 学校を卒業後、静岡県三島の海上保安庁の灯台に勤務した。昭和29年に妻の郷里仙台に移住、若林区新寺小路に居を構えて新型こけしの描… 続きを読む
〔人物〕 明治13年10月5日、岩手県西磐井郡山目村山目字東五代二に生まる。木地業宮本惣七の長男。弟に永七、栄三が居た。明治22年に母が死亡した。しばらくして一家は一ノ関市川小路の伯父惣蔵(惣七の長兄)の家に父と共に寄寓… 続きを読む