佐藤美奈雄

〔人物〕昭和8年7月8日、白石のこけし工人佐藤次雄の長男に生まれる。父次雄は弥治郎の佐藤勘内の次男であり、佐藤隼雄は美奈雄の弟にあたる。 父次雄は転業してながく自動車の運転手をしていたが、戦後は主に新型の下木地挽に従事し… 続きを読む

福田良助

〔人物〕 明治32年ころの生まれ(推定)。大正2年15歳ころ横手の浅利製材工場で働いていた大沼熊治郎(鳴子出身・昭和4年没)につき木地を修業。熊治郎は横木専門であったため、玩具やこけしを作らなかった。その後、熊治郎は良助… 続きを読む

志田八郎

〔人物〕昭和11年1月11日、山形県西村山郡西川町大井沢中村の志田菊麻呂、わかよの六男に生まれた。学校を卒業後、建築業の仕事に就いて、昭和30年5月12日佐藤やえのと結婚した。昭和50年より父の菊麻呂の勧めで足踏み轆轤に… 続きを読む

海谷吉右衛門

〔人物〕 明治38年9月10日、青根の海谷周蔵、きくよの次男に生まる。長兄は周松。父周蔵は若くして没したので、母きくよは周蔵の弟の海谷善蔵と再婚した。12歳で青根尋常小学校を卒業するとまもなく一家は仙台市北材木町に移り、… 続きを読む

中井淳

昭和初期に活動したこけし収集家。 明治36年3日24日、東京四谷に生まれた。大正15年3月第一高等学校文科丙類卒業、昭和4年3月東北帝国大学法文学部卒業、法学士、同年4月東北帝国大学助手、昭和7年4月東北帝国大学講師仏法… 続きを読む

菅原敏

[人物] 昭和12年10月3日宮城県名取郡秋保村湯元30にて菅原庄七、とめよの長男として生まれる。昭和29年3月秋保中学校卒業後、石工等をした後昭和30年頃より庄七の仕事を手伝い始めた。昭和31年には初作を発表、作る本数… 続きを読む

遠藤忠

〔人物〕 昭和24年3月3日、福島県石川郡平田村に農業、遠藤茂義(えんどう しげよし)、節(せつ)の男5人兄弟の3男として生まれた。 学校卒業後に日東グラスファイバー工業株式会社に就職した。昭和46年に鳴子温泉を訪れた際… 続きを読む

新山茂

〔人物〕 大正9年、新山久治二男として弥治郎に生まる。久志は兄である。昭和9年福岡尋常高等小学校高等科を卒業。昭和10年16歳で父久治につき木地を修業。昭和14年までこけし、玩具等を作った。昭和15年21歳のときに入営、… 続きを読む

松田清次郎

明治3年2月22日、岩手県南岩手郡東中野村穀町(現在盛岡市内)の松田和助、ヒサの長男に生まれた。松田家は代々常陸屋と号し、初代は仁兵衛(天保15年没)、二代和七(安政4年没)、三代が父和助で、和助は呉服の行商などをやって… 続きを読む

佐藤善八

慶応2年6月21日、佐藤善七長男として刈田郡宮村遠刈田新地に生まれた。明治11年より、姉よねの夫にあたる義兄佐藤菊治(周右衛門の弟)について二人挽の木地技術を学んだ。兄弟弟子に菊治の息子の重松、重吉兄弟等がいる。佐藤友情… 続きを読む