安保一

〔人物〕岩手県盛岡市の木地業安保一郎の長男。生年月日等詳細は不明。安保家は古い木地師の家系であるが、安保一自身は木地の技術を継承しなかった。建設省等へ勤務していた。 父の安保一郎が昭和36年に亡くなって以後、「安保のキナ… 続きを読む

小野喜義

〔人物〕昭和9年7月10日に生まれた。土湯系の佐藤俊昭と親しく、昭和55年ごろ俊昭からの勧めで手解きを受け、俊昭の木地に描彩のみ施した。 長く冠婚葬祭業に就いていたが、毎月佐藤俊昭の元へ互助会会費を集金に行く傍ら、こけし… 続きを読む

いたやかえで

こけしの用材としてみずきについでもっともよく使用される用材。学名:Acer Mono Max. ムクロジ目ムクロジ科カエデ属(APG植物分類体系)の喬木落葉樹で、エンコウカエデ、タイシャクイタヤ、ウラジロイタヤ、アカイタ… 続きを読む

岡崎斉吉

〔人物〕明治33年5月4日、宮城県玉造郡鳴子の木地業岡崎仁三郎・とき(登起)の次男に生まる。戸籍表記は斉吉、こけしには才吉と署名していた。木地は父仁三郎について習得、徴兵検査まではこけしも盛んに作ったという。 岡崎斉は長… 続きを読む

佐藤吉五郎

こけしの作者佐藤吉弥、吉之助兄弟の父。 元治元年2月28日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の佐藤友吉の三男に生まれた。吉弥、吉之助の父。明治9年13歳より、父友吉に師事、同10年ころはもっぱら兄茂吉の綱取として働き、二人挽き… 続きを読む

菊地三九郎

宮城県加美郡宮城村湯川(現在の宮崎町)の出身。明治28年19歳の時、鳴子の高橋勘治の弟子となる。約3年間の年期奉公の後、宮崎村へ帰った。こけしも作ったといわれるが未確認。菊地英次郎 は三九郎の弟である。

深沢要

明治37年7月24日、東京都下谷区池之端七軒町で生まれた。生後1年6ヶ月で広島へ、さらに九州福岡へと転々として子供時代を過ごしたが、生来病弱で学校も入退学を繰り返した。大正10年に大阪の泰西学館に入ったが、大正11年に病… 続きを読む

菅原富蔵

〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まれた。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の家の職人として働いた。大正15年ころに院内には椀工場があって、鳴子か… 続きを読む

佐藤文吉

〔人物〕 大正11年8月14日、山形県最上郡及位(のぞき)の佐藤甚吉・としをの長男に生まれる。母としをは遠刈田の佐藤茂吉の五女であり、3歳の頃佐藤文六の養女となった。また甚吉の叔母サクは佐藤文六の後妻に入っていたので、そ… 続きを読む