〔人物〕 明治37年2月10日、宮城県刈田郡八宮78番地(梨ノ木沢)に生まる。父は馬夫を業としていた。大正8年16歳で弥治郎の小倉嘉三郎に弟子入りした。嘉三郎の妻けさよ(日下倉吉七女)は叔母にあたる。当時嘉三郎は農業主… 続きを読む
日本こけし館
日本こけし館は、宮城県大崎市鳴子温泉尿前74-2にあり、こけし文化のセンターとなることを目的に建設された。 こけし館が建てられるきっかけとなったのは、昭和28年に深沢要のコレクションが鳴子町に寄贈されたことであった。長い… 続きを読む
川崎巨泉
本名川崎末吉、明治10年6月2日に堺県 (現・堺市神明町御坊ノ前)に、川崎源平の三男として生まれた。父は堺の戸長(こちょう=明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者)をしていた。兄は〈住吉・堺名所并ニ豪商案内… 続きを読む
井上ゆき子
〔人物〕 昭和7年11月8日、福島県耶麻郡西会津町野澤字原町乙の民芸品製造業井上義治・マツノの長女に生まれた。福島県立喜多方高等女学校に入学したが体調を悪くして中退、昭和24年18歳より父義治について創作こけしの野沢こけ… 続きを読む
小林吉太郎
〔人物〕明治12年2月3日、山形市十日町の木地業小林倉治、しゅんの四男に生まれる。倉吉、兼吉、吉兵衛は兄、吉治、吉三郎、庄吉は弟である。 吉太郎は南山学校(寺子屋)で教育を受けた後、明治23年に仙台の瓦屋に丁稚奉公に出さ… 続きを読む
高橋みね
〔人物〕明治8年6月4日生。鳴子の高橋利四郎の妻。〈こけしの追求〉によれば「利四郎には子供がなく、没後約10年間、未亡人ミネが経営者となり、中村雷治が手伝って業を続け、こけしも作った」という。利四郎の没年は大正7年である… 続きを読む
小笠原信子
〔人物〕 昭和10年6月20日農業西條登一郎四女に生まれる。小笠原義雄と結婚して、昭和45年頃よりこけしの製作を始める。もっとも大量に製作したのは、昭和60年気仙沼市唐桑中学校の旧校舎が解体されたときにPTAの依頼で、旧… 続きを読む
佐藤誠
〔人物〕明治34年2月13日、福島県伊達郡五十沢村字寺前3(現在の梁川町)の農業佐藤金七の次男に生まれる。明治42年9歳の時、弥治郎の小倉嘉三郎の家に入って約3年間子守りなどをしたのち、12歳ころより弟子として木地を修業… 続きを読む
佐藤俊夫
〔人物〕昭和14年8月2日、本吉(現在の宮城県南三陸町)の漁業佐藤長治郎の二男に生まれた。昭和34年より鳴子の大沼力に師事して木地の技術を身につけた。小山今朝記、片倉富夫は兄弟弟子である。こけしは昭和42年4月から製作し… 続きを読む
村上玉次郎
〔人物〕大正15年11月21日、岩手県気仙郡盛町の木地業村上蔵吉、とも江の次男に生まれる。母とも江は遠刈田の佐藤寅治の娘で、佐藤護の姉にあたる。父蔵吉は遠刈田の佐藤善八について木地を学んだ人、及位や肘折でも木地を挽いた。… 続きを読む