南條徳右衛門

徳右衛門の名前が出たのは〈鴻・3〉および〈こけし手帖・33〉で、いずれも山形小林倉治が木地を習った作並の師匠としてである。但しこの時、姓は岩松で岩松徳右衛門となっていた。 高橋五郎の追求で「萬挽物扣帳」(岩松直助文書)が… 続きを読む

阿部四郎兵衛

信夫郡土湯村(福島県)の名主で、木地業も行っていた。当主は代々家名の四郎兵衛を名乗った。弘化2年君ケ畑(1845)、嘉永2年蛭谷(1849)、安政4年蛭谷(1857)、明治5年君ケ畑(1872)の氏子狩に応じている。下掲… 続きを読む

浅虫

青森県青森市浅虫。東北地方で有名な温泉地の一つ。東北本線浅虫駅下車。一方を海に面し、三方を山に囲まれているため、木地業も盛んに行なわれた。最も吉いこけし作者と伝えられるのは、温 湯の斎藤宰兵衛の祖父の姉に婿養子として入っ… 続きを読む

新山茂

〔人物〕 大正9年、新山久治二男として弥治郎に生まる。久志は兄である。昭和9年福岡尋常高等小学校高等科を卒業。昭和10年16歳で父久治につき木地を修業。昭和14年までこけし、玩具等を作った。昭和15年21歳のときに入営、… 続きを読む

佐藤吉五郎

こけしの作者佐藤吉弥、吉之助兄弟の父。 元治元年2月28日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の佐藤友吉の三男に生まれた。吉弥、吉之助の父。明治9年13歳より、父友吉に師事、同10年ころはもっぱら兄茂吉の綱取として働き、二人挽き… 続きを読む

大沼甚三郎

〔人物〕弘化四年四月一六日、鳴子大沼甚五郎、とめ(登免)の次男に生まる。母とめは大沼弥左衛門の三女。長兄に岩太郎、弟に傳五郎がいた。兄の岩太郎について木地を習得した。小物はあまり挽かなかったという。明治23年沢口吾左衛門… 続きを読む

佐久間芳雄

〔人物〕   大正10年1月15日、佐久間芳衛の長男として福島市早稲町9-20に生まれる。尋常小学校卒業後祖父由吉、父芳衛について木地挽きを修業した。その後、横浜鶴見の芝浦製作所木型部で旋盤工として働く。昭和1… 続きを読む

佐藤秀一(遠刈田)

〔人物〕 大正3年6月21日、佐藤直助、つるよの二男として遠刈田新地に生まれる。母つるよは秀一のほか三女を生んだが、大正4年に39歳で亡くなった。昭和3年遠刈田高等小学校卒業後、見習工として北岡工場へ入所、父直助につき木… 続きを読む

志田栄

〔人物〕 大正10年3月28日、山形県西村山郡大井沢村の農業・木地業志田善見(五郎八)の三男に生まれる。9人兄弟の8番目であった。昭和9年に小学校を卒業し、昭和13年頃より父五郎八の手伝いをするうちに自然に木地挽きの技術… 続きを読む

宮本惣内

陸中国磐井郡山目村にて文政6年9月6日に生まれた。父は宮本惣三郎。妻リサは宮城県志田郡田尻の生まれ。惣内、リサには長男惣蔵、二男惣七がいる。惣七の妻は山目の鈴木キン三女ナツである。惣七、ナツの間には永吉、永七、栄三がいた… 続きを読む