〔人物〕昭和6年12月17日、宮城県玉造郡鬼首村字久瀬(現在鳴子町)に生まる。鳴子の高橋武蔵の母のつ(明治27年没)の妹なつの孫にあたる。昭和26年、高橋武男に弟子入りし、昭和30年まで木地を修業した。小学校、中学校時代… 続きを読む
〔人物〕昭和6年12月17日、宮城県玉造郡鬼首村字久瀬(現在鳴子町)に生まる。鳴子の高橋武蔵の母のつ(明治27年没)の妹なつの孫にあたる。昭和26年、高橋武男に弟子入りし、昭和30年まで木地を修業した。小学校、中学校時代… 続きを読む
〔人物〕 大正元年11月11日、青森県南津軽郡大鰐村湯野川原の木地業村井福太郎の四男に生まれる。昭和2年大鰐尋常小学校を卒業。兄の久雄、鉄雄、猛雄が相次いで早世したので、操が木地業を継ぐことになり、昭和8年22歳より父… 続きを読む
〔人物〕昭和8年2月20日、鳴子自由業菅原直治・ことぢの三男に生まる。昭和23年3月鳴子中学校卒業後、昭和24年8月より鳴子の大沼宜輔工場で松田初見より木地を習った。昭和28年7月よりこけしは製作している。昭和33年頃大… 続きを読む
秋田県木地山で二人挽き轆轤で木地を挽いた小椋久四郎のロクロの綱とりを務めた人。 昭和7年9月橘文策が木地山を訪れたとき、綱とりをしていた荒屋敷松蔵に会い、木地を挽く久四郎と綱を取る盲目の松蔵の写真を撮った。〈木形子談叢〉… 続きを読む
〔人物〕 昭和3年12月25日、川連大館小椋泰一郎・たかの次男に生まる。成人になると横浜にでて勤め始めたため、専門にこけしを作ったことはない。木地の修業も正式にしたことはないが、父泰一郎の仕事を見て育ったので簡単なものは… 続きを読む
〔人物〕明治4年4月1日、木地業小林倉治、しゅんの長男として山形市旅籠町に生まれる。母のしゅんは旧姓森谷で北村山郡沼沢村の出身。倉吉は南山学校で学んだ後、明治15年から二年間米沢の酒屋で丁稚奉公をした。明治17年に米沢か… 続きを読む
山形県最上郡及位に木地工場を経営した人。盛昭本人が木地を挽いたか、あるいは経営にだけ携わった人かはっきりしない。明治35年に盛昭が肘折に行ったときに佐藤文六の仕事を見て、その木地の技術に強く惹かれて文六を自分の工場へ招聘… 続きを読む
〔人物〕昭和16年6月2日、北海道の国鉄職員本田由蔵の五男に生まれる(男5人、女2人の末子)。 母は十和田湖休屋の高瀬善治の妻スエの妹にあたる。函館の中学卒業後、昭和32年に親戚が経営する札幌の家具屋に勤めた。年上の職人… 続きを読む
〔人物〕平成7年12月15日、青森県黒石市境松町の米坂昌二、恵子の間の二人姉弟の長女に生まれた。平成26年3月に黒石商業高校情報デザイン学科卒業、神奈川県の企業に就職するが体調を崩して6月に帰郷した。その後黒石市内の会社… 続きを読む
〔人物〕 大正13年2月27日、福島県松川町水原字脇ノ久保43に生まる。農業茂木勝平・ハンの三男。昭和13年3月水原尋常高等小学校卒業。埼玉県川口市領家町の川口化学工業㈱に入社、20年2月満州牡丹江145部隊技術兵として… 続きを読む