〔人物〕 昭和54年6月25日、青森県黒石市大字袋字白澤のこけし工人小島俊幸・和子の長女に生まれる。黒石商業高等学校卒業後、会社勤めをしていたが、平成24年12月父俊幸が急逝した事がきっかけとなって、こけし作りの継承を思… 続きを読む
〔人物〕 昭和54年6月25日、青森県黒石市大字袋字白澤のこけし工人小島俊幸・和子の長女に生まれる。黒石商業高等学校卒業後、会社勤めをしていたが、平成24年12月父俊幸が急逝した事がきっかけとなって、こけし作りの継承を思… 続きを読む
〔人物〕明治42年10月25日、雄勝郡皆瀬村川向の木地業小椋久四郎・キクの三男に生まる。小椋久太郎は長兄にあたる。大正11年小学校卒業後、父につき木地修業。種々の雑器を挽き、久四郎や久太郎こけしの木地下を挽いた。昭和12… 続きを読む
〔人物〕 明治7年6月12日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町19番地、松屋阿部吉弥、ヤヨ五男に生まれる(〈こけし辞典〉で母の名をヤマとしてあるのはヤヨの誤り)。兄に、熊治郎、太郎吉、松吉、常松がいる。松屋は代々の木地業で、父… 続きを読む
〔人物〕明治11年7月19日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向二五六の木地業小椋徳右衛門・マサの四男に生まる。母マサは小椋勇右衛門の妹である。亀治、庄太郎、米蔵は兄、石蔵は弟である。姉カネは塗師小野寺梅太郎の嫁となった。木地は父徳… 続きを読む
明治40年5月6日、土産物商小関栄吉の長男として尾花沢市銀山で生まれた。 大正11年12月と、大正13年12月の二回、銀山で安藤齢太郎を講師として木地講習会が開かれた記録がある。会場は第一回が鶴利平宅、第二回が伊豆定雄宅… 続きを読む
嘉永5年11月20日、佐藤友吉長男として遠刈田新地に生まれた。文久3年、12歳で父友吉につき二人挽ロクロを修業、以後二人挽ロクロで通した。佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると茂七はこけしを多く作ったというが、そ… 続きを読む
〔人物〕昭和30年2月18日m宮城県遠刈田新地の佐藤好一の長男に生まれる。曽祖父は佐藤松之進、祖父は佐藤好秋である、昭和46年より祖父の好秋について木地の修業を始め、昭和50年からは父好一の指導を受けた。こけしは昭和50… 続きを読む
〔人物〕山形県蔵王温泉の商店主。昭和30年代半ばに山寺の石山和夫を職人として招いて蔵王高湯系式のこけしを作らせて販売した。こけしは伊藤作兵衛名義で売られていた。和夫が山寺に帰ってからも同趣の作を依頼して作らせ、取り寄せた… 続きを読む
〔人物〕 昭和5年11月10日、山形県飽海郡松山町前割下新田(現在の松山町地見興屋)の農業石塚卯吉、きんよの長男に生まれた。兄弟は男三人、女一人の四人であった。かつては地見興屋と下新田に別れていて、石塚家は江… 続きを読む
〔人物〕大正8年5月14日生まれ。仙台市産業局共同工業指導所にいた及川吉郎について木地およびこけし製作を学んだ。仙台市泉区実沢に住んでこけしの製作を行った。 〔作品〕師の及川吉郎は遠刈田の佐藤孝之助について… 続きを読む