〔人物〕 昭和13年10月1日佐藤伝の長男として、弟子屈温泉にうまれる。父伝は、戦後長くこけし作りから離れていたが、高松の秋田亮の勧めにより、昭和32年秋より再開して蒐集家からの注文に応じるようになった。良二… 続きを読む
常川新太郎
〔人物〕 明治40年4月29日、岩手県盛岡市紺屋町の常川正雄、タミの長男に生まれる。父正雄は南部板駒(玩具)の復興者、木杓子の作者として知られ、大正13年刊の全国特産品展覧会(大正13年)にも出品している。弟に潤次郎、… 続きを読む
西山徳二
〔人物〕 大正5年5月8日福島県信夫郡土湯の農業西山源助、アキの二男に生まれる。七男四女の兄弟姉妹がいた。後にこけしも作った西山敬三は次弟三男である。14歳で荒井村の尋常高等小学校を卒業後、実家の農業を手伝い、また炭焼… 続きを読む
千田美千雄
〔人物〕明治40年5月28日、千田酉蔵(明治7年2月2日生・昭和36年9月25日90歳没)、サヱ(明治18年6月18日生・昭和41年3月20日85歳没)の7人兄弟(男6人、女1人)の三男として山形県上山市鶴脛410(現在… 続きを読む
鈴木幸太郎
〔人物〕 大正11年6月20日、鈴木国蔵(父)の一人息子として、秋田県雄勝郡湯沢町(現湯沢市)御囲地(おかち)町に生まれる。 生後間もなく父と共に下新地(現平清水新町)へ映り、昭和13年高等小学校卒業後、父の仕事を手… 続きを読む
小野寺常松
明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴… 続きを読む
吉田勝範
〔人物〕昭和29年8月26日岩手県江刺(現奥州市)の農業及川善三の二男に生まれる。 中学校を卒業後、昭和45年4月より桜井昭二に師事して木地の修業を始めた。こけしの製作は昭和46年より行っている。桜井の職人を13年ほど務… 続きを読む
斎藤伊之助
〔人物〕 明治26年山形県最上郡南山村肘折の農業斎藤永平の長男に生まれる。12歳の時、古口の寺へ小僧として出されたが、明治40年15歳で肘折に戻り、佐藤文六について木地の修業を行った。当時尾形政治は斎藤永平の家の下屋を木… 続きを読む
後藤晧
〔人物〕 昭和10年10月19日宮城県玉造郡鳴子のこけし工人後藤希三・はるよの長男に生まれる。〈こけし辞典〉項目は後藤皓で立てられているが日へんの後藤晧が正しい。昭和29年に古川工業高等学校を卆業後、父の希三について木地… 続きを読む
石井信明
〔人物〕昭和3年9月11日、福島県田村郡大越町大字上大越字下内の農業石井廣見、タロウの五男に生まれた。小学校教員を40年間務めたが、平成元年に定年退職した。この頃より友人の勧めてこけしに関心を持ち収集を始めた。やがて自分… 続きを読む