岩附義正

〔人物〕 昭和23年6月25日、埼玉県草加市岩附五郎の長男に生まれる。本名は政美。実家は鉄工所経営。将来は工場を継がせるため、親は機械技術を学ぶことを勧めたので、日大一中、日大一高を経て日大理工学部に進み機械工学を学んだ… 続きを読む

三浦光美

〔人物〕 大正6年6月1日、山形県最上郡舟形村長沢の農業三浦仁作の長男に生まれる。長沢村では多くが農業に従事していたが、冬季の仕事として木地業を導入することが企画され、昭和14年秋に、鳴子より伊藤松三郎を招いて木地の指導… 続きを読む

小椋養治

安政3年8月15日、小椋勇右衛門の長男として、皆瀬木地山に生まる。養治の家は初右衛門本家で養治も後に初右衛門と呼ばれた。妻は勇右衛門の兄利左衛門娘カヤである。長男が泰一郎で、長女ヨシは佐藤留治に嫁し、佐藤兼一を生んだ。 … 続きを読む

佐藤周助

〔人物〕  明治6年12月27日、宮城県刈田郡宮村(遠刈田新地)の木地業佐藤栄四郎・志んの長男にうまれる。父栄四郎は刈田郡八宮(弥治郎)の出身、新山栄吉の四男である。栄吉は新山栄五郎の祖父でもあるから、栄五郎と周助は従兄… 続きを読む

大槻千代吉

〔人物〕大正7年5月4日生まれ。宮城県刈田郡蔵王町遠刈田の作田栄利に師事して木地の技術を習得した。独立後は新型木地や玩具類を主に挽いていたが、昭和30年代頃から時に遠刈田の伝統的なこけしも作るようになった。こけしの製作数… 続きを読む

岡崎栄蔵

〔人物〕  明治37年、蔵王高湯の岡崎栄治郎二男に生まる。大正元年8歳の時に一家で山形市に転出、大正5年父栄治郎は招かれて単身で北海道に渡ったが、大正6年一家も栄治郎のいた北海道天塩町に渡り、大正13年には父栄治郎に従っ… 続きを読む

佐藤常治

江戸末期から明治初めにかけて活躍した刈田郡八宮(現・弥治郎)の木地屋。天保3年の生まれ。父の佐藤永助より木地を習ったと思われる。父永助は文久元年7月9日になくなり、常治が家督を継いだ。 飯坂に移った佐藤栄治(毛利栄治)の… 続きを読む

中島正

〔人物〕 明治40年10月11日、秋田県仙北郡に生まれる。幼時に両親と死別し、13歳の頃、最上郡金山に勤務する夫に嫁入りした姉を訪ねて肘折に移り、料理屋いせやに引き取られた。一時茨城県磯原に住んだが、大正10年15歳のと… 続きを読む

新山慶志

〔人物〕昭和23年5月11日、宮城県白石市福岡八宮弥治郎のこけし工人新山久志の四男に生まれる。新山久城は兄、新山亨は弟である。昭和44年より父久志について木地の練習をはじめ、昭和48年より慶志名義のこけしを発表している。… 続きを読む

国分陞

〔人物〕戸籍表記は國分である。國分陞は昭和20年3月9日に國分栄七、十二日(とにか)の五人兄弟の末子(男2人・女3人)として白石市に生まれた。兄は榮一、鎌田文市の妻さくよは叔母(栄七の妹)にあたる。陞の祖父徳治の兄寅吉の… 続きを読む