長岡要一

昭和10年、山形市小姓町の木地業長岡幸吉の長男に生まれた。昭和24年より父の幸吉について木地の技術を習得、小林吉兵衛様式のこけしの試作なども行った。ただその後本格的にこけし製作を行ってはいない。

古関菊一

秋田県稲川町大館の蒔絵師。腕はよく大館では町一番の蒔絵師と言われた。 大館の小椋正治のこけしのうち特製上手物の描彩は菊一が行っていたという。〈鴻・6〉によると昭和14,5年ころ、描き賃は一般に3銭くらいであったが、菊一の… 続きを読む

大沼勝蔵

天保6年9月4日、鳴子源蔵湯隠居家督大沼三郎治の子として生まれた。長姉ちやに高野屋の又五郎を入家督としたためゆさやの隣に分家した。木地は義兄又五郎より習う。妻まつは秋田県雄勝郡湯沢村尾形伝蔵の長女。長男に勝三郎がいる。 … 続きを読む

高梨小藤治

明治38年4月24日、宮城県刈田郡八宮村7番地の木地業高梨栄五郎、かめの二男に生まれた。母かめは同村熱海與平治の二女である。栄五郎には先妻とりとの間に長男永がいたが、13歳の時に村にやって来た祭文語りに憧れて出奔し、木地… 続きを読む

田崎弥蔵

明治から大正にかけて山形市旅篭町で開業していた家具屋の主人。 田崎家具店では、岡崎栄治郎、海谷善蔵、佐竹林之助、白川久蔵、石沢角四郎、鈴木幸之助等多くの木地職人が働いた。こけしを挽いたのではなく椅子や机の脚など、家具の部… 続きを読む

武田仁兵衛

明治27年頃、山形県東村山郡鈴川村山家にまれる。大正元年19歳で小林倉吉に入門した。大正7年11月に年期が明けた。昭和14年の〈再版 東北の玩具〉では米沢の工人として紹介されている。兄弟弟子たちによると、仁兵衛は修業時代… 続きを読む

佐藤千代治

明治27年頃、山形県山辺町大字田小路に生まれた。明治39年8月山形市愛宕町の小林倉治に入門した。明治43年11月に年季明けし、12月仙台第2師団歩兵第2大隊に入隊した。大正2年12月除隊した後、小林家に7ヶ月間お礼奉公し… 続きを読む

佐藤重右衛門

青根の土産物店主。青根、遠刈田のこけしを販売したので作者と誤伝されたことがある。重右衛門の父重太郎は遠刈田新地佐藤周右衛門の弟で、青根の先代重右衛門の長子ゆのと結婚して、婿に入った。重太郎、ゆのの長子が重右衛門を名乗った… 続きを読む

仙台小芥子会

大正12年仙台市の愛好家菅原武平、三原良吉、小野臺蔵、天江富弥、鈴木喜三郎(軍治)、今野定一によって郷玩の収集、研究を目的として発足した。研究会、展覧会等を開催した。大正13年発足の関西の婢子会と並んで斯界で最古のこけし… 続きを読む

菊地勝三郎

宮城県柴田郡川崎村川崎の出身。明治7年頃の生まれ。青根の菊地きよし戸籍名きよは姉にあたり、きよしの婿が茂平(安政松年頃の生まれ)である。きよし、茂平夫婦の養子に山形出身できよしの甥にあたる孝太郎が入った。勝三郎は明治19… 続きを読む