タグ別アーカイブ: 高橋亀三郎

東郷ハガネ

木地屋が用いる鉋には、国産の通常のハガネが使われていたが、日清戦争のあと頃から輸入の洋鋼が使われるようになった。 鳴子の高野幸八は、鉋の切れに自信があったようで「板丸兼ねての名人」という看板を掲げていたが、鳴子でいち早く… 続きを読む

全国特産品製造家便覧

日本物産奨励会 が編纂し、日本の県別特産品をまとめた便覧で、大正8年に上巻、大正10年に下巻が、また更に大正13年版と三回にわたって広報通信社より刊行された。刊行の趣意として下記のような記述がある。 「どこの国に何という… 続きを読む

早坂源治

〔人物〕明治27年11月2日、宮城県加美郡小野田町東小野田下野目下久保に生まれる。 明治39年13歳で鳴子の高橋亀三郎の弟子となり7~8年修業して舟形山の東麓宮城県黒川郡大和町吉田村升沢に帰り、主として製炭に従事、杓子を… 続きを読む

高橋まさの

明治25年2月13日、宮城県玉造郡鳴子町湯元の高橋亀三郎、のつの長女に生まれた。深沢要の聞き書きによると、兄武蔵の木地などに描彩を行い、非常に上手であったという〈こけしの追求〉。 横谷家に嫁した。昭和22年12月2日没、… 続きを読む

高橋直蔵

天保4年5月23日、宮城県玉造郡鳴子の高橋直四郎、久の長男に生まれる。高橋家は初代佐左衛門、二代佑左衛門、佑左衛門の一人娘久に入り婿となった三代直四郎と続いた漆器商であった。父直四郎は若くして没したため、久に高橋万右衛門… 続きを読む

佐竹辰吉

〔人物〕  明治28年(推定)栗原郡一迫町の農家に生まる。鳴子の高橋亀三郎の妻のつは鬼首の人だったが、長男武蔵が5歳のとき亡くなった。後妻に来たのが栗原郡一迫の人であったが、その縁で辰吉は明治40年13歳ころ鳴… 続きを読む

高橋亀三郎

〔人物〕 安政6年8月16日、鳴子湯元の木地業高橋直蔵、ときの長男に生まれる。祖父の直四郎の代は漆器商だったといわれるが、直四郎は若くして亡くなり万四郎が継父に入った。直蔵は、万四郎あるいは大沼又五郎について木地を学んだ… 続きを読む

高橋武蔵

〔人物〕  明治21年11月29日、鳴子の高橋亀三郎、のつの長男に生まる。深沢要の〈こけしの追求〉によれば、亀三郎は本業農業であるがその傍ら木地も挽いたという。武蔵は父亀三郎について木地技術を習得した。明治35年15歳よ… 続きを読む

大沼誓

〔人物〕 明治23年12月25日宮城県玉造郡鳴子の大沼安太郎・とよの二男に生まれる。祖父は大沼勘五郎、沢口吾左衛門文書に塗師として記録されている人物である。父安太郎の舎弟安吉は大沼利右衛門の娘とみゑと結婚して利右衛門の養… 続きを読む

高橋武俊

〔人物〕 昭和26年7月16日、玉造郡鳴子温泉湯元の木地業高橋武男、みきの長男に生まれる。昭和50年3月に立教大学を卒業後、同年4月より叔父の経営する仙台港近くのガス会社で一年間働いた。昭和51年5月に鳴子の実家である高… 続きを読む