田中一也

山形の木地職人。生年月日等不明。田中信也は弟にあたる。吉田慶二の〈聞書き・木地屋の生活〉によれば、小林吉太郎の小橋町時代(明治43年から大正6年)に兄弟ともに職人だったという。 その後大井沢に椀類を挽きに行ったことがある… 続きを読む

中井淳

昭和初期に活動したこけし収集家。 明治36年3日24日、東京四谷に生まれた。大正15年3月第一高等学校文科丙類卒業、昭和4年3月東北帝国大学法文学部卒業、法学士、同年4月東北帝国大学助手、昭和7年4月東北帝国大学講師仏法… 続きを読む

小林広友

〔人物〕昭和26年8月12日、米沢市東大通りの小林友次、キクエの次男として生まれた。家業が木地屋であったので、父の友次、兄の泰造の指導の下に木地を挽くようになった。主に木地下を挽いており、描彩はほとんどしていないと思われ… 続きを読む

佐藤七之助

〔人物〕 明治33年1月21日、岩手県江刺郡岩谷堂に生まれる。父は大工であったが、七之助は身体が弱く、家業を継ぐのが難しいと思われたので、15歳の時に及川吉三に師事してダライバンによる木地挽きを学んだ。 及川吉三はこの当… 続きを読む

小林鶴次

秋田県登町の木地師。秋田県仙北郡生保内字宮ノ後の出身。木地師の系譜は不明。秋田市登町で独立開業。明治45年6月、亀治の養子正吉が、大正11年には亀治の次男友次が入門して木地を修業した。従来の文献では鶴次が兄で亀治が弟とな… 続きを読む

金子庫三

  岩手県花巻市の郷玩文具店主。地方の博覧会などにイミテーションのこけしなどを発表したので一時こけし作者と誤伝された。そのこけしは花巻の無名の木地師に作らせ、金子庫三名義で出品したものであるが、その木地師が明確… 続きを読む

菊地久二

キナキナ作者と誤伝されたことがあるが、岩手県遠野駅前の木工所経営者でこけしの作者ではない。〈こけし這子の話〉に遠野として掲載され、製作人遠野駅前菊地久二として紹介されたが、作者は木工所で職人をしていた及川吉三であった。 … 続きを読む

佐藤源吉

山形県蔵王高湯(蔵王温泉)の岡崎長次郎の弟子。〈鴻〉によると昭和16年以前に転業しているが、生年月日出身地やその後の消息は不明である。こけしは雇われた職人と同様に長次郎描彩こけしの木地を挽いたものと思われる 。

舟生門蔵

明治31年(推定)山形県最上郡真室川町及位に生まれた。家は農業。明治45年より大正8年頃まで及位駅前の佐藤文六の弟子となり木地を修業した。そして文六が佐藤盛昭から引き継いだ及位木工場で働いた。 大正8年ごろの及位駅前佐藤… 続きを読む

佐藤敬弥

明治26年、福島県伊達郡小国村で生まれた。高橋忠蔵の遠縁の人で飯坂鯖湖の渡辺角治の弟子となった。3年間〈土湯木でこ考〉、または7年間〈こけし木地師の周辺双書・2〉弟子として修業につとめたが、忠蔵より1年後、大正8年に辞め… 続きを読む