
明治40年11月4日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の佐藤茂吉五男に生まれた。大正10年ころから兄の佐藤円吉について、木地を修業した。一人前となって及位の佐藤文六の駅前工場に行って働き、その後仙台の兄孝之助の工場で職人をした… 続きを読む
明治40年11月4日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の佐藤茂吉五男に生まれた。大正10年ころから兄の佐藤円吉について、木地を修業した。一人前となって及位の佐藤文六の駅前工場に行って働き、その後仙台の兄孝之助の工場で職人をした… 続きを読む
嘉永5年11月20日、佐藤友吉長男として遠刈田新地に生まれた。文久3年、12歳で父友吉につき二人挽ロクロを修業、以後二人挽ロクロで通した。佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると茂七はこけしを多く作ったというが、そ… 続きを読む
〔人物〕明治27年7月8日、山形県東村山郡津山の武田春吉、フクの長男に生まれた。父の春吉は東村山郡高瀬村切畑の神尾家より武田家へ養子に入った人。母のフクは卯三郎が5歳の時に亡くなったので、父春吉は実家に帰り神尾姓に戻った… 続きを読む
〔人物〕昭和11年10月28日、岡崎丑松の二男として台湾に生まれる。昭和21年に日本に戻ったが、翌22年に両親を亡くした。昭和29年に身体を壊したが昭和37年27歳のころから遠刈田の木工所で働くようになった。主にテーブル… 続きを読む
青根の商店主であり、また木地工場を経営した人物。 明治15年ころから遠刈田新地や箱根から木地製品を仕入れ、これを青根温泉の浴客に商っていた。職人を雇い自らの工場で浴客からの需要が高かった木地製品を生産することを思いたち、… 続きを読む
北海道旭川市。北海道北中部の上川盆地に位置し、交通の要地であって札幌に次ぐ北海道第2の都市、政治・経済・文化の中心地となっている。 旭川市神楽町には、大正7年に秋田県大館より移住した木地山系の小椋米吉一家がいて木地業に従… 続きを読む
安政2年ころ宮城県栗原郡築館町玉沢に生まれた。34歳(明治21年)ころ、中年になってから青根の丹野の工場にいた佐藤茂吉の弟子になった。茂吉のもとで1年たらず修業したが蔵王高湯の斎藤藤右衛門の要請で半途職人のまま、阿部常松… 続きを読む
大正12年、佐々木金次郎次男として青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下に生まれた。昭和2年、兄の金一郎と共に大鰐町に移住。昭和12年高等小学校卒業後、父金次郎につき木地を修業した。昭和18年、一時軍隊へ入った以外木地業を続… 続きを読む
明治16年9月26日福島県信夫郡土湯村字下ノ町の木地業佐久間浅之助、ノエの四男に生まれた。父の浅之助について木地を修業した。 こけしも挽いたといわれる。身体が弱く、明治42年8月27歳のとき下の湯で卒中のため亡くなった。… 続きを読む
明治35年1月8日、宮城県刈田郡遠刈田新地の木地業佐藤善八の二男に生まれた。長兄は善助。姉のたまよは佐藤丑蔵の妻女となった。大正5年より父善八について木地を修業した。大正10年ころは北岡仙吉の木工所で木地職人として働いた… 続きを読む