本間功

  〔人物〕 昭和10年8月14日、秋田県雄勝郡東成瀬村椿川の学校教員本間嶋蔵・リヨの三男に生まれる。生家が山林を持っていたので小学校のころより木地細工を好み、木彫りの熊や家具類を製作していた。子供のころから手… 続きを読む

山谷敏一

〔人物〕  昭和10年5月29日、青森県温湯の木地業山谷権三郎・ハルの6人兄弟の末子に生まれる。山形第一中学校在学中より家業である木地業を手伝った。昭和26年中学卒業後は本格的に兄の清と木地挽きを行い、鳴り独楽、ズグリ、… 続きを読む

武田仁兵衛

明治27年頃、山形県東村山郡鈴川村山家にまれる。大正元年19歳で小林倉吉に入門した。大正7年11月に年期が明けた。昭和14年の〈再版 東北の玩具〉では米沢の工人として紹介されている。兄弟弟子たちによると、仁兵衛は修業時代… 続きを読む

清野武治

〔人物〕昭和12年8月24日、福島市の木地業清野倉吉の六男に生まれる。実家が木地業であったため若い頃からある程度木地は挽けたが、昭和60年頃にこけしの製作を志すようになって自分流に作り始めた。平成9年に土湯の今泉源治の手… 続きを読む

岡崎久作

〔人物〕元治元年8月18日、羽前国南村山郡高湯村の岡崎嘉平治、可能(かの)の二男に生まれた。嘉平治と久作父子は、蔵王高湯の果実を持って蔵王山を越えて商い、帰りには魚等の海産物を仕入れて蔵王高湯で商っていた。その途上、久作… 続きを読む

斎藤虎蔵

従来、斉藤虎丸の名で伝えられたこともあったが虎蔵が正しい。明治32年頃、山形市地蔵町の水口屋(山形県の醤油醸造元)に生まれた。山形市小橋町時代の小林吉太郎の弟子で、大正6年に吉太郎とともに米沢に移り、年季が明けた以後も吉… 続きを読む

相川忠次郎

肘折近在の出身で、明治40年ころ横山政五郎と同時期に佐藤周助の弟子となった。詳細は不明。〈こけし辞典〉で白鳥正明は「横山忠次郎と同一人かも知れない」としている。 出典は、肘折を最初に詳しく調査した加賀山昇次が〈こけしの郷… 続きを読む

石川清志

〔人物〕明治42年2月28日、岩手県和賀郡沢内村大野の農業石川宮蔵(昭和19年没、75歳)、アサノの三男に生まれた。大正11年に一家で川崎市へ出稼ぎに出て、父母は富士紡績㈱に勤めたが、翌12年に母アサノが44歳で亡くなっ… 続きを読む