タグ別アーカイブ: 佐藤丑蔵

佐藤君子

〔人物〕昭和24年12月3日、千葉県松戸市の会社員片田定吉の四女に生まれる。東京で働いていた遠刈田出身の佐藤英裕と結婚、結婚を期に英裕は遠刈田新地へ帰郷することを決意したので、昭和50年夫とともに遠刈田へ移った。 遠刈田… 続きを読む

石川清志

〔人物〕明治42年2月28日、岩手県和賀郡沢内村大野の農業石川宮蔵(昭和19年没、75歳)、アサノの三男に生まれた。大正11年に一家で川崎市へ出稼ぎに出て、父母は富士紡績㈱に勤めたが、翌12年に母アサノが44歳で亡くなっ… 続きを読む

荒井定雄

〔人物〕生年月日不詳。宮城県遠刈田の佐藤丑蔵の弟子となってこけし製作を行ったが、しばらくして伝統こけしの製作から離れ、新型の専門工人となった。 〔作品〕下掲は丑蔵についてこけし製作を志していた時代の作。伝統こけしの作品数… 続きを読む

鈴木靖一

〔人物〕昭和10年9月10日、宮城県刈田郡遠刈田に生まれた。昭和23年に白石中学校を中退し、昭和24年から佐藤丑蔵について二か月ほど修業を行った。 昭和35年からこけしも製作するようになったが、昭和38年に転業し、間もな… 続きを読む

佐藤誠次

〔人物〕 明治35年5月2日、遠刈田新地の佐藤文治・はるの三男に生まる。大正2年13歳のとき、及位の叔父佐藤文六のもとへ行って、雑用を手伝ったが、このときにはまだ木地は挽けなかった。一年ほどして遠刈田へ帰り、木地を修業し… 続きを読む

佐藤丑蔵

〔人物〕明治22年3月4日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文治、はるの長男に生まれる。三治、誠次は弟。15歳のとき、青根の丹野倉治方で職人をしていた叔父佐藤文平について約一年間木地を習ったが、その後二年間は木地挽きに従事せ… 続きを読む

小田島邦太郎

岩手県稗貫郡湯本村(現花巻市)金矢で農業を営み、郷土人形の製作などを行った人。経歴等詳細は不明であるが戦前に没したという。 昭和13年、花巻の長寿庵から小田島邦太郎名儀のこけしが発売され、〈こけしの微笑〉で金矢こけし作者… 続きを読む

高橋市太郎

〔人物〕 明治42年3月21日、岩手県和賀郡沢内村猿橋第一地割の農業高橋権兵衛、ナミの長男として生まれる。大正11年尋常小学校卒業後、家業の農業を手伝っていたが、昭和元年より湯田の佐藤丑蔵について木地の修業を行… 続きを読む

小林英一

〔人物〕 大正6年10月1日、岩手県和賀郡湯田小林辻右衛門の次男に生まる。父辻右衛門は大正10年に木地伝習所を開設、その後小林木工所として営業した。そこに佐藤丑蔵が講師、職人として働いていた関係から英一は見取りで木地を覚… 続きを読む

佐藤文助

〔人物〕  明治34年11月23日、佐藤文平・つねの次男として青根温泉に生まる。父文平は遠刈田の佐藤文吉の二男で、佐藤周右衛門の姪つねと結婚して入り婿となっていたが、当時は青根の丹野倉治や小原仁平の工場で木地挽きをしてい… 続きを読む