カテゴリー別アーカイブ: 工人

松田淑子

〔人物〕昭和5年2月25日、宮城県岩出山の大場忠の長女として生まれた。鳴子のこけし工人松田三夫と結婚した。松田忠雄は長男である。夫三夫のこけし製作を手伝っていたが、義父松田初見や三夫のこけし描彩を見ながら学んで、昭和40… 続きを読む

軽部留治

〔人物〕鶴岡市家中新町の郷土人形作家。温海の阿部常吉や、その他の工人のこけし木地に描彩し、おもに鶴岡の物産問屋丸金商店(阿部金治郎経営)より販売した。 昭和15年4月8日没、行年51歳。  〔作品〕〈こけし辞典… 続きを読む

斎藤礼子

〔人物〕昭和20年11月26日、山形県蔵王高湯の斎藤源七の娘として生まれる。斎藤崇広は長兄。父の源七は昭和25年に39歳で他界した。兄崇広は緑屋の経営が軌道に乗って一段落し昭和55年頃から再びこけしも作るようになったが、… 続きを読む

伊藤三郎

〔人物〕昭和7年11月2日、宮城県刈田郡遠刈田の佐藤留吉、りんの二男に生まれた。昭和23年より佐藤護の長男佐藤栄一について木地を学んだ。この当時佐藤栄一は新型を作っていたので、伊藤三郎も主に新型の木地を挽いた。昭和28年… 続きを読む

大森久幸

〔人物〕昭和35年3月10日、宮城県白石市のこけし工人大森久一の長男に生まれる。 父の久一は白石で新型木地を挽いていたが、昭和39年より遠刈田温泉の佐藤哲郎の指導を受け、遠刈田で伝統こけしを製作するようになった。久幸も父… 続きを読む

長尾昌儀

〔人物〕昭和6年2月4日、工業長尾市十郎の二男としてパラオに生まれる。戦後日本に引き揚げて来て、昭和22年17歳の時遠刈田の佐藤吉之助について3年間木地の修業を行った。その後、吉之助の工房で働いたが、昭和48年に吉之助が… 続きを読む

佐野強

〔人物〕昭和2年9月5日、東京の佐野教治二男に生まれた。日大芸術学部卒業し、洋画家として出発した。昭和39年より仙台にいた広井道顕、政昭兄弟について木地を習得し、こけしの製作も始めた。横浜、富士市と転居したが、画作の合間… 続きを読む

佐藤重吉

明治10年10月19日、佐藤菊治次男として遠刈田新地に生まれた。長兄は重松、弟に三男治平がいた。〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると明治20年より菊治について木地修業をしたが、菊治は二人挽きであったので兄の重松より一人挽… 続きを読む

吾妻鉄造

山形県肘折の奥山運七の妻女ヤスの姉の子供。 奥山運七、ヤスは子供に恵まれず、ヤスの姉の子である吾妻鉄造を養子にしたが、鉄造は木地の仕事を好まず、3年ほどで肘折を去った。その間、こけしを製作したかどうか不明である。 鉄造が… 続きを読む

荒井定雄

〔人物〕生年月日不詳。宮城県遠刈田の佐藤丑蔵の弟子となってこけし製作を行ったが、しばらくして伝統こけしの製作から離れ、新型の専門工人となった。 〔作品〕下掲は丑蔵についてこけし製作を志していた時代の作。伝統こけしの作品数… 続きを読む