安政6年ころ島津茂兵衛長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。島津家は代々温湯の古い木地師で、津軽こけしの探求者木村弦蔵(木村弦三)によれば津軽系の木地師は戦国時代から元禄時代にかけて山形地方から移住した… 続きを読む
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佐藤文治
慶応3年5月27日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文吉の長男に生まれた。明治18年1月より、義兄佐藤茂吉について一人挽きを6ヵ月修業した。明治19年弟文平に、明治25年弟文六に一人挽きを伝承した。明治23年に東京上野公園に… 続きを読む
押切忠輔
生年没年は不明。山形県北村山郡市野々(現在の尾花沢市市野々)の生まれ。明治30年代に鳴子の高橋勘治の弟子となり、約3年ほど修業し働いた。こけしの製作も行った。兄弟子に菊地英次郎、菊地三九郎兄弟がいて、菊池兄弟が挽く時には… 続きを読む
大沼宜輔工場
戦後、昭和20年代はじめから昭和30年代終わりまで、鳴子湯元の坂に面して土産物店を開業していた大沼宜輔が経営していた木地工場。湯元の坂を登る左手、現在の鳴子ホテルの通用口の向かい側にある大沼薬局の前身が宜輔の土産物店であ… 続きを読む
盛與助
〔人物〕青森県南津軽郡山形村大字温湯の木地師。盛家は代々木地業に就き、祖父専四郎、父専四郎(専之丞)に継いで與助も木地業に就いた。與助の長男が元吉、元吉の長男が秀太郎である。生没年月日は不詳。 小児エツコ、子供槌など玩具… 続きを読む
菅原富蔵
〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まれた。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の家の職人として働いた。大正15年ころに院内には椀工場があって、鳴子か… 続きを読む
佐久間亀五郎
江戸中期土湯に生まれた。木地業佐久間作兵衛(三代)の長男。家号は稲荷屋。稲荷屋は祖先の作兵衛の時代に二本松往復時、狐に助けられたのにちなみ命名したという。亀五郎は、化政当時会津藩と二本松藩を結ぶ交通の要地として、また湯治… 続きを読む
間宮孫次郎
青森県大鰐の木地師。生没年月日不明。孫次郎の長男が忠太郎、忠太郎の長男が明太郎である。 孫次郎は明治23年に東京上野公園において開催された第3回内国勧業博覧会へ、茶碗入、煙草入、箸立などの木地製品を出品している。 〔参考… 続きを読む
中村正夫
〔人物〕 昭和26年10月28日、秋田県鹿角郡十和田町大湯(現・鹿角市十和田大湯町)の農協職員中村勇・ミエの次男として生まれた。秋田県立十和田高校を卒業後、昭和45年に青森県十和田市休屋の(株)南祖庵に入社した。 休屋は… 続きを読む
阿部吉弥
文政11年(推定)福島県土湯村に生まれる。父の名は不詳。母ヤヨは鈴木太郎吉長女。屋号は松屋であるが、阿部善治郎家と区別するため松屋分家という。また、土湯村下ノ町にあったことから下の松屋という場合もある。妻女コヨは陳野原駒… 続きを読む