〔人物〕昭和3年10月7日農業佐藤昇、きくの長男として宮城県福岡村弥治郎に生まれる。佐藤慶明、慶春は弟にあたる。父昇は八宮の農業志村要右衛門の子で、弥治郎の佐藤今三郎の娘きくと結婚して養子となった。 辰雄は小学校卒業後製… 続きを読む
佐藤千代治
明治27年頃、山形県山辺町大字田小路に生まれた。明治39年8月山形市愛宕町の小林倉治に入門した。明治43年11月に年季明けし、12月仙台第2師団歩兵第2大隊に入隊した。大正2年12月除隊した後、小林家に7ヶ月間お礼奉公し… 続きを読む
佐藤次雄
〔人物〕 明治41年1月25日宮城県刈田郡福岡村八宮字弥治郎の佐藤勘内、ふよの二男に生まれる。母ふよは白石の高子仁四郎の三女である。佐藤伝内は伯父にあたる。佐藤雅雄は長兄、佐藤稔は弟である。 尋常小学校卒業後、父勘内につ… 続きを読む
佐藤伝
〔人物〕 明治39年3月26日宮城県福岡村大字八宮字彌治郎の木地業佐藤伝内・てうの二男に生まれる。戸籍表記は傳。長兄は伝吉、弟に伝喜、伝伍、敏、巳歳、新、雪弥がいる。敏は二歳で夭折した。 大正9年… 続きを読む
佐藤常吉
秋田県川連の木地師。明治末期に鳴子に来て秋山忠の木地工場(西条菓子店の辺りにあった)で職人として働いた。この時、この工場で秋山慶一郎も共に木地を挽いたという。 忠の弟子とも言われるが、川連から木地職人を招いて椀木地を挽か… 続きを読む
佐藤常治
江戸末期から明治初めにかけて活躍した刈田郡八宮(現・弥治郎)の木地屋。天保3年の生まれ。父の佐藤永助より木地を習ったと思われる。父永助は文久元年7月9日になくなり、常治が家督を継いだ。 飯坂に移った佐藤栄治(毛利栄治)の… 続きを読む
佐藤哲郎
〔人物〕 昭和7年1月25日、遠刈田温泉佐藤吉弥、トラヨの次男として生まれる。昭和20年ころよりこけしの描彩は始めたと言うが、正式の木地修業は、昭和22年4月中学校を卒業後新地の叔父佐藤吉之助に就いてからである。当時自宅… 続きを読む
佐藤照雄
〔人物〕大正8年6月30日、佐藤豊治二男として遠刈田温泉に生まる。佐藤三蔵は五男、佐藤里見は六男でそれぞれ照雄の弟にあたる。昭和6年小学校卒業後、上京してブリキ玩具製作所で働いたが、昭和9年に倒産したため福島仲間町に移り… 続きを読む
佐藤伝喜
〔人物〕 明治42年2月3日宮城県刈田郡福岡村大字八宮字弥治郎の木地業佐藤伝内・てうの三男として生まれる。戸籍表記は「傳喜」。大正12年福岡村尋常小学校を卒業後、木地の修業を始めたが、父伝内は家を離れて放浪をすること多く… 続きを読む
佐藤伝伍
〔人物〕 明治45年3月28日宮城県刈田郡福岡村大字八宮字弥治郎の木地師佐藤伝内・てうの四男に生まれる。戸籍表記は「傳伍」である。母てうは刈田郡宮村我妻惣治郎の長女である。伝伍には、異母兄に伝吉がおり、てうの子として次男… 続きを読む