福島県飯坂の人。健治の父が義太夫を通じて八幡屋佐藤応助と懇意であった。そこで応助の養子佐藤栄治の紹介を受け、明治31年20歳で栄治の師遠刈田の佐藤応助について木地を修業した。〈こけしの追求〉に採入された根本与市の聞き書き… 続きを読む
杉原浩
〔人物〕 山形県新庄市紙鍬町の大工。内職に木地を挽いていた。明治22年(推定)生。木地は見取り。昭和14年9月こけし研究家の深沢要が瀬見の旅籠で得た情報を元に、新庄に未知の工人を訪ねて杉原浩と会い、次の聞き書きを得た。 … 続きを読む
鈴木明
〔人物〕 昭和35年7月20日、鈴木昭二、みさほの三男として仙台市に生まれる。 昭和54年4月より父について木地修業、昭和63年に玩愚庵の三代目代表となる。 祖父の鈴木清がもともと昭和12年頃に仙台市日の出丁の桜井玩具… 続きを読む
鈴木運吉
〔人物〕大正14年6月7日、鳴子町湯元の大工鈴木亀吉・よしのの長男として生まれる。当時鳴子の岡崎斉吉は、自身で木地工場を経営していたが、昭和11年頃軍需品等を挽く工場をさらに鈴木亀吉方に開設したので、運吉も小学校時代から… 続きを読む
鈴木清
〔人物〕明治30年4月20日、山形県高畠町字川沼の農業鈴木清吉、かねの三男に生まれた。屋代尋常高等小学校卒業、東京の成城中学校中途退学した後、大平洋画塾にてデッサンを学び、さらに中島醴泉画伯につき日本画を学んだ。 一時米… 続きを読む
鈴木喜代治
鈴木国蔵
〔人物〕 明治30年8月29日秋田県雄勝郡湯沢町御囲地の写真師鈴木勝治の長男に生まれる。木地は17歳より約1年間能代工業講習所で学んだ。講師は野田久之助であった。湯沢の松江謙太郎は弟弟子である。その後、各地を転々として木… 続きを読む
鈴木晃悦
〔人物〕昭和2年5月6日、山形県寒河江市の仏具建具業鈴木安太郎の長男に生まれる。 家業は仏具建具業であったが祖父の鈴木米太郎は、山形の小林倉治について木地挽きを修業していたので、父安太郎も木地を挽き、戦後は昭和… 続きを読む
鈴木幸太郎
〔人物〕 大正11年6月20日、鈴木国蔵(父)の一人息子として、秋田県雄勝郡湯沢町(現湯沢市)御囲地(おかち)町に生まれる。 生後間もなく父と共に下新地(現平清水新町)へ映り、昭和13年高等小学校卒業後、父の仕事を手… 続きを読む
鈴木幸之助
〔人物〕明治21年1月21日(旧暦明治20年12月9日)、宮城県柴田郡川崎村(現川崎町)笹谷の農家に生まれた(戸籍上は3月21日生)。6歳のとき、母の実家、青根の旅館業佐藤重太郎の養子となった。 明治38年に青根の佐藤重… 続きを読む