今泉潮音

〔人物〕平成7年4月10日生まれ。土湯の今泉源治の孫。祖父源治より木地の手ほどきを受け、さらに四季の里の近野明裕からも半年ほど指導を受けた。粗挽きは師の明裕が行い、それ以降の首入れも含め潮音が行ってこけしを製作した。 た… 続きを読む

荒井雅雄

〔人物〕生年月日出身地など不明。もともと図案等のデザインを手掛けており、山形市香澄町で荒井図案社を経営していた。各種木地製品を製作販売し、大正3年東京上野で開催された大正博覧会の出品者には「山形市香澄町 荒井雅雄」の名が… 続きを読む

東京こけし會こけし展

東京こけし会(戦前昭和14年より19年1月まで活動)は、昭和15年7月27日に鳴子にて参会者50余名を集めて現地大会を開催したが、翌月8月28日より9月1日まで東京の白木屋にてこけし展を開催した。こけし展の企画運営は、こ… 続きを読む

坪井正五郎

東京において、明治から大正にかけて古物、故実、風俗、玩具の蒐集、調査、鑑賞に関わる活動を組織化した人物。「竹馬会」「集古会」「大供会」「流行会」など人形、玩具に関わるかかわる多様な活動に関わった。交際が広く、これらの重層… 続きを読む

高梨栄五郎

〔人物〕明治6年6月9日、宮城県刈田郡八宮弥治郎の木地師高梨栄三郎(戸籍表記 榮三郎)、やのの長男に生まる。父高梨栄三郎(嘉永3年11月5日生)は新山栄吉二男、母やの(安政2年5月28日生)は新山久蔵長女、夫婦で高梨由松… 続きを読む

鹿島秀悦

〔人物〕昭和16年2月15日生まれ。昭和50年より鳴子の大沼健三郎、健伍父子に師事して木地を修得した。実質的な指導は健伍が行った。そのころよりこけし製作を始め、その後鳴子町名生定滝岸で独立した。 令和2年1月15日没、行… 続きを読む

小沢一蛙

明治から昭和にかけての趣味人。特に蛙に関わるものの蒐集を行った。趣味人たちとの交流も多く、こけし蒐集家との接点も多い。 明治9年、東京日本橋に生まれた。本名は小澤幸太郎。内閣印刷局(造幣局第一証券課)に勤め、趣味の蛙の蒐… 続きを読む

木形子綺譚

佐藤利雄稿の「木形子綺譚」は昭和12年7月8日の新聞東京朝日に掲載された。 深沢要の〈こけしの微笑〉に「『朝日新聞にこけしの記事がのっていたのを御読みになりましたか』と何度か人に尋ねられたことがあった。読んでいないのを残… 続きを読む

佐藤文六(秋保)

〔人物〕明治32年7月26日、宮城県名取郡秋保村行沢湯元(長袋)で生まる。小学校卒業後秋保村立職工学校に入学し、講師の遊佐幸太郎、佐藤治平について木地挽きの技術を習得した。3年間で卒業後、福島県の柳津へ行き日光木地師赤ン… 続きを読む

秋保村立職工学校

宮城県名取郡秋保村に明治43年から大正9年まで開校されていた村立の職工学校。指導職種は塗り以外は木地が中心であったため、俗に秋保村立木地学校とも言っていた。 役場の明治44年記事に設立事情に関する記述がある。 「一、職工… 続きを読む