遊佐博志

〔人物〕昭和28年1月8日、宮城県玉造郡鳴子町の岡崎斉吉の六男に生まれる。岡崎仁治は長兄である。昭和40年に古川工業高校を卒業したが、その在学中より父岡崎斉吉について木地を学んだ。遊佐耕三の娘妙子と結婚し、遊佐家の婿とな… 続きを読む

嶋津彦作

〔人物〕明治19年3月1日、嶋津彦蔵長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。木地挽きは父彦蔵から温湯温泉で修業したものと思われる。大正3、4年に弟彦三郎と共に大鰐町に移住し、田中重吉方の職人をした。 大正8… 続きを読む

我妻定男

〔人物〕昭和15年11月3日、宮城県仙台の農業我妻留三郎の四男に生まれる。昭和30年16歳より、仙台の我妻吉助に師事して木地の修業を行い、昭和38年に年期明けとなった。その後も継続して吉助方の職人を勤めたが、昭和50年1… 続きを読む

佐藤誠治

〔人物〕大正14年7月28日、弘前市国吉出身の建具屋佐藤留次郎の5人兄弟の長男として蔵館で生まれた。子供の頃にトロッコに乗っていて大怪我を負ったが、治療を十分に受ける事が出来ず、やや足に不自由が残った。 昭和15年、大鰐… 続きを読む

大宮安次郎

〔人物〕明治34年6月17日山形県山形市双月に生まれる。大正3年学校を卒業後、山形市上山家の深瀬国雄に師事して木地の技術を学んだ。深瀬国雄(国男、国夫ともいう)に師事したのは安次郎の姉の夫が国雄の兄深瀬信義(信好ともいう… 続きを読む

平賀謙次郎

〔人物〕 大正7年11月17日、宮城県作並の木地業平賀謙蔵の二男に生まれる。 多蔵は長兄である。昭和5年3月より父謙蔵について木地の修業を始める。翌昭和6年尋常小学校を卒業後、本格的に木地業に取り組む。兄弟弟子に兄の多蔵… 続きを読む

佐藤英吉

〔人物〕  明治39年10月10日、山形県最上郡及位村塩根川の大工佐藤鶴松の三男に生まれる。父鶴松は本業の大工の他に、桶屋、木挽き、炭焼き、木彫などやった人物で、及位の佐藤文六の工場で人夫頭を勤めたこともある。その縁で大… 続きを読む

松本鶴治

〔人物〕大正11年3月11日、舞鶴の松本宗治の次男として生まれた。日本画を伊藤清三郎より習い、戦後岩手県花巻に移住して、昭和26年より木地挽きを習得した。やがて盛岡の北本武のこけしの木地を挽くようになった。また北本武のこ… 続きを読む

伊藤泰輔

岡崎栄治郎が山形市七日町柳町で木地業を営んでいたときの弟子。山形専売局に勁めていたが、怪我をして巡視となり、巡視の仕事が一昼夜交代のため、隔日に栄治郎の店へ来て木地を習った。栄治郎とは縁故があったらしい。村上周蔵は兄弟弟… 続きを読む

瀬谷幸治

〔人物〕 昭和27年3月19日福島県郡山の木地業瀬谷重治の長男に生まれる。父重治は松村一四郎より木地を学んだが、後に岩本芳蔵よりこけしの製作を学んだ。幸治は木地の修業を父重治について昭和47年6月より始めた。作品は翌48… 続きを読む