〔人物〕弘化2年10月7日、山形県北村山郡東郷村大字泉郷の農業神尾長三郎長男としてに生まる。神尾家は代々長三郎を名乗っていた。明治11年34歳のころ、山形の小林倉治に入門し木地挽きを修業した。長三郎の妻は北村山郡沼沢村出… 続きを読む
〔人物〕弘化2年10月7日、山形県北村山郡東郷村大字泉郷の農業神尾長三郎長男としてに生まる。神尾家は代々長三郎を名乗っていた。明治11年34歳のころ、山形の小林倉治に入門し木地挽きを修業した。長三郎の妻は北村山郡沼沢村出… 続きを読む
鳴子の高亀で戦前一時期(昭和17~19年頃)、また戦後は昭和30年代初期まで新型こけしの描彩者として働いたことがある。 その後、創作こけしを考案描彩したり、鳴子こけしの木地に切り紙で高亀風の面描、胴模様を貼付した切り紙こ… 続きを読む
〔人物〕昭和3年3月18日、青森県上北郡十和田町大字奥瀬字休屋の土産物店経営高瀬善治、スエの長男に生まれる。母スエの妹は本田功の母に当たる。父善治は土産物店経営の傍ら、こけしの製作を行なっていて、昭和31年には本田功が善… 続きを読む
〔人物〕 昭和32年5月10日福島県岳温泉の会社員大内修二の二男に生まれる。 母は大内一次の妹であったが、一次に子供がいなかったため夫婦で一次の養子となった。したがって一次は慎二にとって伯父であり祖父であった。 和光大学… 続きを読む
〔人物〕慶応2年6月25日、福島県北会津郡闇川村(旧青木組)の木地業小椋甚吾、ツルの長男に生まれた。本名(諱)のほかにあざな(字)も持っていて祖父織江は包教、父の甚吾は包章、千代五郎は工章と言ったという。 祖父小椋織江(… 続きを読む
〔人物〕 大正12年2月28日、宮城県柴田郡川崎町青根温泉の木地業菊地孝太郎の六男に生まれた。こけしは昭和は37年頃より描彩のみ少しづつ行っていたが、長兄の菊地孝治、次兄の菊地正がともに木地業を離れたので、菊地啓は昭和4… 続きを読む
〔人物〕大正3年5月25日、福島県土湯温泉蔦屋の阿部与作の四男に生まれた。佐藤左志馬に師事して、昭和51年60歳を過ぎてから、こけしの製作を始めた。 平成12年12月20日没、行年87歳。 〔作品〕師匠左志… 続きを読む
〔人物〕大正11年1月24日、仙台市福沢の鉄道員里見久作、さつのの長男に生まれた。 仙台市宮城野小学校をへて昭和12年図南中学校卒業、鉄道員となった。徴兵により水戸の航空通信隊に入隊、樺太をへて北海道帯広にて終戦除隊とな… 続きを読む
〔人物〕 明治31年8月18日土湯の上ノ町16 阿部金蔵・ミヱの長男に生まれる。戸籍表記は廣史。金蔵の家は、上の松屋と呼ばれ旅籠を本業としていたが、明治後期には木地と炭焼きを専業とするようになっていた。広史は大正3年17… 続きを読む
第1次世界大戦後から昭和期戦前ころにかけて存続した収集趣味家たちの交遊会名。寺号をそれぞれ雅号とする好事家の集団で提唱者は三田林蔵。三田は明治42年ころ自家を「趣味山平凡寺」として「我楽多宗」と称したが、大正8年末寺十ヶ… 続きを読む